遊佐浩二が55歳になった。
遊佐浩二が55歳になったということは、『io』発売から5年の月日が流れたということになる。
恐ろしい。
あれから5年経ったということは、私が声優のオタクを緩やかに辞めてからも5年弱経ったということである。
私は高校生の時に声優のオタクだった。
一番好きな声優は遊佐浩二で、当時でもうすでに40代後半だった。
私とは31歳差で、両親の一個下。両親の誕生日の後に遊佐浩二の誕生日が来るので、両親の年齢に遊佐が追いつくことはない。
高校生の私は、おじさんが好き!でも親より年下が良い、と遊佐浩二がギリギリストライクゾーンに入るようなタイプを言っていたものだ。
声優のオタクを辞めた理由はいくつかあるけれども、一つは追っていても何の素養も身につかないなと思ったからで、まだお笑いの方が「文化」という感じがする、と当時は思っていた。
今思えば、ドラマCDも朗読劇も何もかもが「文化」なのだけれど、そういう見切りの付け方をした。すごく悪い。
だが今でも、誰も見ていないような声優イベントをみるのではなくて名作映画を見ておけばよかったとか、18推CDを聴いて夜を明かすぐらいなら小説などを読んでおけばよかったとか、と後悔する。
私自身を否定している。
遊佐浩二はずっと好きだったけれども、今の自分に影響しているかというとそうでもなくて、下ネタばかりの小野坂昌也のラジオや性癖を大きくゆがめた平川大輔の方が今の私を形成している感がある。
それでも、遊佐浩二が一番好きだった。
私は自分が通ってきた文化に否定的で自信がない。
文化資本がないことが常にコンプレックスで、私は何も知らないということを逐一思い出して嫌な気持ちになる。
そういうモードの時には、声優を好きだった時代が否定的にうつる。もっと、もっと、別のことに時間をさけたんじゃないか。
そういうぐちゃっとした気持ちが「今思えば」でてくるわけだが、それはやはり回顧的錯覚である。
だって、あの頃の私は遊佐浩二なしでは生きられなかった。
遊佐浩二と遊佐クラさん(遊佐浩二のファンのこと)が世界の8割程度を占めていたあの頃を遊佐浩二なしで語れるわけがなかった。
「生きのびる」ための遊佐浩二、だった。
遊佐浩二がコンタクトの良さを語っていたからコンタクトに変えた。
私の生活の軸は遊佐にあって、そういう生き方は今でも変わっていない。
誰に依存するか、でしかない。
今でも生きている私の中に目立った遊佐浩二の要素はないかもしれないけれども、持論とこだわりが強くて社交的だが根っこのところで閉じている彼の要素すべてが私のタイプと合致してくる。
いつからかなぜ遊佐浩二が好きかは不明瞭になっていて、しかし遊佐浩二の声を聞くと「好きな人の声だ」と思った後に「ああ、遊佐浩二だ」と思う。
これから先「遊佐浩二」を忘れてしまうかもしれないけれども、きっと遊佐浩二に捧げた数年間は私の聴覚に刻み込まれていて、だからいつまで経っても大好きなままだ。
ありがとう、遊佐浩二。
遊佐さん、55歳の誕生日おめでとうございます。