なんかの夢

日記ニキ

23.07.13

積み残していたものがバッと押し寄せてきて、まだまだ人生においてやるべきことはたくさんある。

 

昨年8月に観劇した『2020』の戯曲をやっと入手したので、読んだ。

観劇した後に内容を半分ぐらいしか汲み取れずかなり心残りだったので、戯曲を読み、パンフレットを読みで、理解をすすめることができた。

自分はあまり小説を読んできていない中でも、特にSFの素養がまるでない。

ずっと借りていて読もう読もうと思って読めていないSF傑作選を、とりあえず読もう。

 

『2020』DVD化しないんだろうか。

伝えたいことがある舞台とも伝えたいことがない舞台ともあまり馴染まないで、

伝えたいことがありながら、それを胡麻化すぐらいの洗練された演出がなされた舞台だったように記憶している。

そもそも、しっかりと演劇を見るのが初めてでその衝撃も強かったんだろう、な。

 

しっかりと文化に触れるようになったのは、ここ1,2年のことで、まだ右も左もわからないけれども、鍛えていけば楽しめるということや「良い」ものは明らかに質が違うのだということぐらいは感じられるようになっていて、まだ未来は明るい。

 

昨日は炒り豆腐をつくって、今日もその残りを食べた。

あと、初めて白玉団子をつくって、いろんな方法で食している。

他者が入り込んでくると、生活が変容するので、できる限り巻き込まれた方が良いのだが、どうにも嫌な顔を一回してしまうのは癖のようで、今後は良い顔をして巻き込まれるようにしていった方が良いのかもしれない。

でも、その防衛線は張ったままがよいか。

 

 

新しいことを始めたいと色々と考える時は、たいてい躁っぽく夢っぽい。

頓服。

そのような状態が「悪い」状態であることに、気づけるようになったのは、成長?

 

記事全体が成長主義のような価値観に支配されている。

あなたのここは足りない部分なので、のばしていくべきである。

こちらの方にのばすのが「正しい」のばし方である。

とか云々。

 

だから「悪い」状態だったのか、なるほど、理解ができた。

 

私は、今全く想定ができないものになろうと努力して良いのであって、それでなれるかどうかは別にしても、それには近づけるのだということ。

縛っていた縄と隠していた布が少しずつ少しずつずれていく。

思っているより、自由だ。