ただ、ゴールデンウィークで生活習慣が崩れたから、夜眠れなくって日中寝ちゃうんだってわかって随分と楽になった。
もう寝れそう。
うまくやっているよ。
凄い勢いで自分が組み変わっている気がしていて、でも別に元々どうだったとかもわからないし、何も中心に置かないことで何も傷つけないようにしているけれど、中心がないのが怖い日もあるよ。
怖いのね。
そういう話で言うと、性別について考えることが最近は多いよ。
『トランスジェンダー入門』を読んで『ノンバイナリースタイルブック』を読んで、性別と装いのことをぼんやりとずっと考えているよ。
あたしがどんな性別かは内緒だし、あんまり聞かれたくないし、あんまり聞かれたくないかな。
おっぱいがふくらんでいることは全く気にしたことがなくて、もっというとだいぶ好きなんだよね。
おっぱいがある程度あってよかったな。ないみなさんは残念でしたね。
でも、身長が低いのを最近は気にしていてもっと身長が高ければ、着たい服をもっと着れたんだろうか、とおもう。
これは実はジェンダーと関係なしに、150cm以下の人の服の選択肢って少ないんですよね。
身長の幅ってあまり考えられていない。
大量生産大量消費ってマジョリティにしか向いてなくて、体型においても趣味においてもジェンダーにおいてもマイノリティである人が選べる服って数が少なくてそれ故に高い。困っちゃうよな。
自分が全体で優秀な方にいて、高校までのことを思い出す。大学では落第生だった。
ここらへんは結構折り合いがついてきている。別に点数が取れるからと言って仕事ができるわけではないし、あぁでも点数が取れれば成果につながるような仕事を選べて良かったとはおもった。得意を仕事にできてるかな、勤務し始めないとそれはわからんわ。
私は優秀だということが中心にある時期が長くて、学部と院で6年間かけてそれが解体されて、今また中心に戻ってきそうなのをふらりふらりとかわしている。
ここはあんまり言葉にならんの。
私は人に会うと「今私は優秀な方にいて」という話をなぜかしてしまう。何かは感じているのね。私の能力って私の能力だから優秀かどうかって相対評価でしかなくって、環境によって違うから、なんだろう、だから「どうでもいい」んだけど、どうでもよくないんだろうね。
でも、褒めて欲しいとかでもないの。どうでもいいはずなのに、どうでもいいって思えてない。評価されるなら良い評価でありたい、良い点数を取りたい、って思うのがやめられてない、って一番言いたいのかも。
私は良い点数を取ろうとするのをやめられない。良い点数を取ることで幸せになろうとするのをやめられない。一番になれなかったことを強く悔やむのをやめられない。それを「受験」と紐づけるのは陳腐だよね。
そういう自分の傾向を少しずつ変えたいなっておもう。柔軟でありたいね。
少しずつ形になる。
評価されることが私にとっての1番の幸せだっだけど、それをやめようっておもってる。やめきれなくて、なんだかまだふらふらしている。
じゃあ、どうやって幸せになるの?とおもって、いつもみたいに「幸せになりたい」と言っちゃう。
じゃあ、どうやって?の部分は一旦考えないで、とりあえず評価に固執するのをぽーんとやめてみて、入ってくるものを観察する。
短歌の本を読んでいて、57577の定形が自分以外のものを呼び寄せる、自分以外から言葉が生まれてくる、と書かれていておもしろいなと思った。
自分が57577をよむのではなくて、自分が57577と一緒によむのだ。二人(一人と定型の二つ)の作業、あるいはもうちょっと多くの要因の作業である。
短歌から人生に飛ぶなんてあんまりにも恥ずかしいけれど。
私ができるのは今まで持っていた軸を手放すだけで、次のよるべはいつの間にか手にされているだろう、とか思うのだけれど、どう?
カネコアヤノのライブって一回は行ってみたいかも。
まだ考えるべき時ではなくて、やはり毎日の研修をこなし、したいなとゆるやかにおもう趣味を淡々とやっていく。
ゴールデンウィーク、満喫できましたか?なんて言わないでほしい。さまざまな人と会い、いくらかの漫画を読み映画を観た。展覧会にも行った。十分。
たくさんたくさん詰め込んで、知らない力が働いて、いつの間にか私が成形されていたらいい。
掴めない私は怖いけれども、いろんな人から見て私はしっかり掴めているみたいだから、みんなから反射される像を見てどうにかやっていこう。
悲しい夜。
明日は、絶対寝ちゃうだろう。
言葉になってよかった。
あなたも生きていてね、あたしも生きているよ。