なんかの夢

隙あらば自分語り

起床日記

 

大学の某講義で、あるテーマについて一週間日記を書くという課題があり、その時に書いた「起床」に関する日記です。講義ではA4一枚という指定があったけれども、ここではそういう制限もないのでいくらか加筆修正しています。

 

 

起床後すぐにスマートフォンのメモ機能を利用して記録した。注釈は、後で読み返した際に付け加えたものである。

起床は、一日の単なる始点ではない。点というにはあまりに多くのことが起きすぎている。それは、一日のうちでも重大な出来事なのである。

 

5/7(土) アラーム 10:30- 10分ごと/30分ごと 起床 11:42  9時間睡眠

14時〜お笑いライブがあり、ぎりぎりで間に合うには12時までに起きる必要がある。昼ごはんも食べたかったのでもっと早く起きるべきだったがその余裕はない。寝起きかなり悪。眠い。夢も覚えている。遮光カーテンを半分明けて寝てみたので少し部屋が明るい、しかし眠い。あまり起床に関係なし。

 

5/8(日) アラーム 12:00-14:00 30分ごと 起床 14:27  9時間睡眠

2度寝どころではなく、6度寝ぐらいして起床。特に私には珍しいことでもない。全く起きれなかった。久々にウルトラ怖い夢を見た。やることいっぱいあるねんけど?今日も起きられんの何?しんど。13時ぐらいに絶対起きれた。不快。イライラする。起床むずすぎ、最難関。遮光カーテン閉めてたのが悪い?

 

18時-19時 仮眠。1日が睡眠で潰れたのが悲しくて涙が出てきた。

 

5/9(月) アラーム 10:30-12:30 30分ごと/11時前後だけ10分ごと 起床 13:00  9時間睡眠

12時に起きた、と思った*1。学校でも家庭でも人がたくさん死ぬ夢を見た。昨日に続きウルトラ悪夢2連チャン。寝過ぎてしんどい可能性がある。曇り。日が入ってこないので、日中の感覚がない。

起きるのには手こずったが、起きてみると案外気分が良い。意外と良い日になる予感*2

 

5/10(火) アラーム 9:00-9:40 10分ごと 起床 9:39 5時間半睡眠

爆裂起床*3。10:30〜のバイトに間に合うには10時のバスに乗らねばならない。飛び起きたせいで、床に置いてあった衣服に足を滑らせ転倒。15分で支度せねばならん。起きてみると動ける。午前に予定を入れること、それが早起きのコツか?頑張れ、あと10分だ!*4

 

5/11(水) アラーム 11:30-12:30 10分ごと 起床 12:03 7時間半睡眠

11:30に起きると、TAの仕事のメールが来ている。メールを返さないとと思いつつ寝てしまう。11:45のアラームが、着信音と一緒で無駄にドキッとする。なんだかムカつくのでふて寝。奇声を上げながら起床*5。13時の講義に間に合うようにメールを打ちながら支度、今日は1日予定が詰まっている。*6

 

5/12(木) アラーム 10:00のみ 起床 22:00-1:20 4:00-12:42 14時間半睡眠(実質12時間)

変な睡眠の取り方。寝落ちして起きてまた寝た。今日は全休なのを良いことに心ゆくまで寝た。雨。昨日は全く頭が動かなかったけど、今日はたくさん寝たので頭も動くはず。こういう睡眠の取り方をすると適度に現実から距離が取れる。現実から駆り立てられる気持ちから、たくさん寝ることで縁を切れる感じ。現実に埋め込まれた私の救出。あまりうまく言葉にできない。特に遅く起きたことの後悔もなく、久しぶりに気分が落ち着いている。

 

 

 

 

 

*1:11時半ごろに「12時に起きるぞ!」と心に決めたので起きれたと思ったが、実際は13時になっていた

*2:なりました

*3:9:39という表示を見て、反射で飛び起きたためこのように表現した。この起き方をすると起きて数十分は活動できるが、その後眠くなる

*4:バス停まで走ることによって間に合いました

*5:全く起きれない時は身体を起すために伸びをするのだが、その際に「んーーー」という声をあげる。それを友人に「奇声」と言われたことがあったので、その表現をそのまま使用した

*6:日記をつける時間がなかったため16時ごろに記録

日記を書かなくなった

高校1年生の時から毎日日記をつけていた。

一週間分の日記を一気に書くこともよくあったし、受験生だった高3の時はほとんど書いていなかった。

それでも、大学生になってからはある程度書いていたのだけど、主に卒論の影響で11月以降にパタリと書かなくなった。

 

日記を書かなくなったことをずっと気にしている。年度ごとに手帳を買い替えており、新年度は心機一転また書き始めようと思っている。

だから、その前にこの数ヶ月書いていなかったということの懺悔をしたい。そういう記事です。

 

卒論が忙しくて書けなかったのが11月~1月だとしても、卒論提出後は書けたはずだった。でも、書けなかった。

 

卒論提出後、私は半ば駆り立てられる形で予定をいれた。

日記の件とはまた別件で、昨年度はとにかく、自分のコミュニティの狭さを恥じ、人とたくさん関わらなければならないという気持ちに呪われており、卒論提出後その呪いに駆動される形でいろんな人と会った。

予定が詰まっていないことは、自分の怠惰さや自分が世界から求められていないことの証左であるように感じられて、できる限り忙しくしていた(とはいえ、他者と比べれば全く”普通の”生活である。私は他者に比べて活動性みたいなものが低い、低すぎる。常に過眠気味なので活動時間も人よりだいぶ短い)。

 

予定が詰まっていたのならさぞ日記に書く思い出も多かろう、と思うかもしれないが、そうではなかった。

2、3月の私は常に現実感の無さにさいなまれていて、昨日のことを思い出しては本当にあれは私だっただろうかと思いつつ、常に起こった出来事の解釈を先送りしていた。

そんな2、3月頃に書いていた文章の残骸が見つかった。

 

私は常に過去にすがっていて、過去を反芻しながら生きている。

だから、本当に目の前のことを見ていない。

それが苦しい。現実感がもうずっとない。一年前にもそんな記事を書いていた。

高校からずっともうなにがなんだかわからないまま日が過ぎている。

 

◉ずっと現実感がない

去年も同じ趣旨のブログを書いていた。

みんなはあるんですか?人と会っている時ほど、全てが夢のように思える。

中身が見えない他者と他者の反射のように存在する私だけがいる。

家に帰って泣きながら、現実ってなんなんですかと言っている。

受け入れられないからかもしれない。自己の中の自己像と実際の私が大きくかけ離れていて、それをまだ受け入れられていない。

 

リアリティを感じられない出来事がどんどん起こって過ぎていったので、それを振り返り向き合うことがこわかった。これらの出来事を私の人生に位置付けることができなかった。何も感じない出来事(いやそれらはすべて楽しい出来事ではあったのだが)を脳内でどんどん「大切なこと/重要なこと」へと肥大化させて文字に残す気持ち悪さに耐えられなかった。

だから、もう書かなかった。書けなかった。

 

そもそも、私の日記は出来事を書くものではない(ということに気づいた)。

出来事にあふれている時期に、私の日記に書けることなんてない。

「今日は誰と○○へ行き、××を食べた」という出来事の記録が日記のスタンダードであるだろうし、私の日記も振り返ってみて見れば「今日は朝起きることができず△△の授業に出られなかった」という記録ばかりである。

だが、私の日記の本分は、自分が強く心動かされたものに対する熱情を書き綴ったり、考えたことや思い悩んでいることを長々と書くところにある。

……読み返してみたら本当にどうでもいいことばかり綴っていて、そうではないかもしれないと思ったので、この話は保留です。

 

2021年を迎える前の大晦日に書いた記事(下書きに残っていた)から、良い(?)文章が見つかった。

 

本当に、私は私の外にあるものに対する愛着がない。私は、ずっと私の脳内にあるものだけを愛し続けていて、外で何が起こっていても何でもいい。寂しい人間だこと。

 

可哀想に。

私の人生や脳内、そして「現実」に、現実の出来事や関係のある他者は位置づけられず、疎外されている。

概念になってしまったあの人や想像上の「私」だけが強いリアリティと共にあり、その脳内だけを愛し続けている。

数年前に「とびだせ!のりちゃんランド」という、私がずっと脳内で妄想してばかりだという記事を書いたんですが、それから一向に変化していない。私はずっと自閉的だ。

 

だが、それだからどうしよう、と思い悩むことも解決することもしない。

何も問題化しない。そういう肥大化がもう面倒になった。

もしかしたら退化かもしれない、考えることを辞めてしまったのと同義かもしれないということだけが不安としてあった。現実と向き合わないことや私に起こっている出来事から距離を取ることで、私は昔できていたはずの言語化の能力を失ってしまうのかもしれないという不安があった。

だから、こうやって懺悔の文章を書いている。言語化を怠ってきたことへの懺悔と、決して逃げているのではなく慎重になっているだけだという弁解のつもりだ。

 

本を読めなくなっている。文字を書けなくなっている。

リアリティを感じられないような他者との交流だけを無限に求めて、どうしようもないと言って泣くことだけを繰り返している。

帰っておいで。

私を定義づけるならば、私の書いた言葉によってが良い。私が発する言葉でも、私の容姿でも、私は定義づけられたくなく、ただただ私が書く文章だけが私を定義づけて欲しい。それが一番私が私だと思っているものだから。

 

久しぶりにそのままの言葉を書いた。逃げるようにして口語を交えてみたり、ふざけた言葉を連ねたり、そういうことをしないのも久しぶりで気恥ずかしい。

一方で、やはり伝える努力はしておらず、私から生まれたままの言葉を書き連ねている。私は、結構意味を考えずに感覚だけで言葉を発する側面がある。伝わらなかったら読み取ってください。

 

 

おしまい

 

 

Lyrical school「Fantasy」


www.youtube.com

 

 

三年寝太郎

三年前にこのブログを始めた。

 

ariakesann.hatenablog.com

 

その最後で「3年後の私。元気ですか?今日もまた私は、黒歴史を全世界に公開してます。 」と言っていたので、そのアンサーブログです。

 

元気です。

 

◎文字書きBGM→日食なつこ「エピゴウネ」

8月に入って鬼リピしてる。「エピウゴネ」って打っても出てきた。去年のいつ頃かもずっと聞いていた。私は、同じ曲を飽きるまで何度も何度も聞いて、ある時パタリと聞かなくなる。すべてに対して。

 

そいや、フランス語がちょっとだけわかるようになったから、”N'importe où hors du monde”でもブログ名よかったよ。いや良くはないか。

第二外国語がドイツ語で人間科学部に入ったはずなのに、今の私はなぜかフランス語をやってベルクソンを読んでいて、人は変わろうと思わなくても変わるんだなと思った。

それは、悲しいことのようで救いであって、こんなだらだらと暮らしているのに、私は2018年の私をちゃんと「恥ずかしい」と思えるほどに変わっている。ありがたい。

 

この前、たまたま中学生の頃のブログを発掘して、デジタルタトゥーこえぇ~と言いながらサイトの削除を行った。

そのブログ名にも「夢」が入っていた。

これも「なんかの夢」だし、相変わらずずっと夢の中で生きているような気持ちで、なんも変わんねぇなと思う。こちらもありがたい。

 

私が意識せずとも、私は変化しておりかつ変化していないの、すごくありがたくないですか?ラッキー☆

 

 

 

最近はずっとグラグラで、まともに考えると自分は否定すべきところばかりでどうしようもないので、「まぁでも、それが『私』だからいいのよ」みたいな肯定の仕方をして何とか乗り切っている。

基本的に、そういう根のない肯定をした後は「とはいえ、他者に愛されてぇ~~~」と言いながら泣いてる。

 

どこかで自暴自棄のような諦めのような気持ちがあって、過度に楽観的に人生を見るようになって、お先真っ暗な私にもお先があるのおもろ(笑)みたいな気持ちによくなる。

 

いや、めっちゃ面白いでしょ。

 

でも、急に現実に引き戻されて「院試怖いし辛いしやりたくないな」とか「お先真っ暗なの怖すぎるな」とかいやなことをいっぱい思い出して嫌な気持ちになる。

ずっとそれを繰り返している。

 

「人生どうしようもねぇな」と思っていたのが、大学1,2年生の私だったので、一歩引いて「このよくわからん人生どうなるか楽しみやね」みたいな気持ちを無理にでも引き出せるようになったのは一つ成長なのかもしれない。

 

気休めかもな。

 

 

昔からだけど、コロナ禍で人に会わなくなってさらに、どんどん私は私の中に閉じこもるようになってないですか?大丈夫ですか?というのが最近の悩みです。

本当に、私はずっと私のことを考えているし、いろんなことが自己完結しているし、何より他人と関わるたびにせっせと作り上げたグラグラな自分が一気に崩れてしまって、しんどい気持ちになるのでまずいなと思ってます。

 

他者~!他者と健康的に関わりをもちてぇ~!

 

3年後の私:他者と健康的に関わりを持ちたいと思いながら、真っ暗なお先を楽しみに生きている。

 

 

 

三年寝太郎(さんねんねたろう)

日本の民話の一つ。3年間寝転がってばかりの、一見、ただの怠け者の男が、突然起き出した末に灌漑など大きいことをするという話。

 

三年だったから、三年寝太郎ってつけたけど、三年寝太郎はえらいんやね。

私は、この3年間寝転がってばかりで、これからあと3年ぐらいはまた寝転がるつもりです。

 

 

 

 

モーニング非ルーティン

眠れなくて朝になった日は、たまにお散歩をする。

足がむずむずして眠れないので、多分運動不足だろうと思うからだ。

そういうお散歩の時は、大森靖子の「ミッドナイト清純異性交遊」をよく聞く。

「キャラじゃないなんて甘えてるから逃してばっか」「大丈夫な日の私だけを見つめてよ」と歌詞がすごくいい。

大丈夫な日の私だけを見つめてよ、って口ずさみながら、出勤や登校途中の大丈夫な人たちの中で、部屋着にクロックスの全然大丈夫ではない私がお散歩する。

大森靖子の曲を聞くと、あなたなんかに認められなくてもわたしはわたしだけで最強なのよ、という気持ちになるから好き。

 

そしたら公園に着いて、ブランコに乗る。
さいころ、一番好きな遊具がブランコだったから。

ブランコの浮遊感にドキッとしてぷかぷかした頭がスッと現実を見たあたりでもうイヤダイヤダと思っちゃって繰り返した。

 

「こんな時間にブランコ乗るなんて、世界から疎外された気分になりますね」

 

と言った後で、

 

私だけが世界で他がウソなんだって気づいて、そんな笑わなくても良いじゃないかと思った。書き換えた。

 

 

文字にしなくたってよかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長ツイ

いろんな欲望が乱立していて、それらはすべてさほど重要ではなくて、あるきっかけでそれらのうちの一つが刺激され衝動に変わり、他の何にも手がつかなくなり、でも何も達成されずに衝動が収まって無がやってきての繰り返し。

 

今も、文字を書かねばという衝動に駆られてpcをひらいたがこの記事を公開するかどうかもわからない。

 

ナンセンス。

 

感動しなきゃいけないんだろうか、肯定しなきゃいけないんだろうか。

ばかばかしくて意味がなくてそれをそれでいいじゃないと言って受け取る浅さは恥じるべきなんだろうか。

 

借りてきた言葉を話す。吐きそう。

 

全部を受け入れたみたいなかっこいいもんじゃないよ、自暴自棄。

「もうどうにでもなっちゃえ」みたいな

どうににもなんないの、どうににもなんないのが一番のバッドエンドで一番ありえそうな未来。キモい。気持ち悪い、

 

この年齢で「しなければならないこと」なんてもうない。

だれも「しろ」とは言わない。上から指示をくれる人も義務を課してくれる人も存在しない。

自分が自分に「しなければならない」と言ってそれをしていくだけだ。

 

「読まなきゃいけない本」がたくさんある。そう、これが欲望の乱立。

2月はもう終わりそうだけど、2月のはじめから読んでいる本をまだ一周もできていない。

さすがに遅くない?っていうのが最近の悩み。ずっと。

 

「読まなきゃいけない本」なんて一冊もない。本当はね。

なんも知らなくたって生きていける。なんも知らないまま生きていった方が楽に決まっている。

馬鹿みたい。なにしてるんだろう。毎日。

毎日。意味わかんない文字をただ目にいれていくだけのそれで時間がなくなっていくの。ウケる。

 

衝動的に買った服も衝動的に買ったアクセサリーも全部ゴミになっていって

あんなに固執していた人ももう覚えていない

吐きそう。

 

 

何が欲しいかわかったら、もうそれでいいと思いませんか?

何かを手に入れれば絶対に幸せになれるってわかることと、それを実際に手に入れて幸せになるのと何が違うんですか?

どこに向かえばいいかもわからないし、どこに向かっているかもわからないし、そういうことを考えることがそもそも馬鹿だって言われている気がして、もうなんでもない。

うん。ごめんね。

 

自分がたりないことだけわかっていく。

自分が大きく欠けていることだけわかっていく。

どうしたらいいんだろうか、この状態の自分はなにに肯定されるんですか?

誰の言葉?

 

うぅ。。。

 

きしょい。きもい死んでほしいやめてほしい終わってほしい人生が全部。

 

人間の言葉を話さないでほしいなあんまり。誰の言葉?ねぇ?聞いてるんだけど

ゆめ?

 

私の衝動は、好奇心とか興味とかそんな明るいものではなくて、結果だけを求める。

「○○をした私」の完成が衝動的に望まれて、そうでないものが全部否定されて、もちろん今の私も否定される。

だから、あんまり否定とか肯定とかそれは君の言葉じゃないのに、使わないでって。

 

ぐーん

 

忍耐力とか努力とかなのかな、足りてないのって

すぐに結果はでないよって、笑ってるあなただって、そんな私をおろかだと思っているのに。ひどい。

君が肯定してくれれば、ぼくはそれでまだ耐えられるのに。

そういう姿勢なんじゃないですか?そういうところが私の忍耐力の無さに繋がってるんじゃないですか?精神的な問題じゃないんですよ。環境。わかるかな?環境。きみのせいですよ、少しは反省してください。

 

吐いた。ポムポムプリンカフェ。

 

すーん。

 

大きな問題とか不安からは目をそらして、気をそらしてその場を乗り切る。

根本的な解決なんて無理だから。

高校の保健室は、とりあえず大学に行かせて、大学のカウンセリングルームはとりあえず職に就かせて。

「最近は大丈夫そうですね」って、爆弾を抱えて生きているこれはどこにおいていたらいいのかしら?うーん・

 

る。

 

ばくばく。

 

だいたいおさまってきたんじゃなかろうか。寝るか、ちょっと何かやって寝るか、それでいいじゃないかな。

明日起きたら元気になっているはず。

 

かしこくなりたいな。「賢い私」になりたい衝動が僕を引き裂いていくのに、僕は引き裂かれるばかりで一切「賢い私」になるための行動はとれずに、ただいみもなく涙を流している。ウケる。かわいそう。そうやって、そうやって生きて行っていいと思っているのがかわいそう。

もっと、ちゃんとしたらいいのに。

 

ごめんなさい。

 

タイトルの「長ツイ」は「長ツイート」の略です。今更(笑)

 

私ができることだけしてると一生が終わるの。どうにもならない。

悲劇もおきないのよ。自暴自棄になったって。

悲劇が起きて僕が殺されるなんてそんなことはないの。

できることができる水準で起こってなにも何も変わらない自分が人生をいきていくだけなの。

できないことができるようになったことがないな。

 

おっ、なんか私みたいな言葉の使い方じゃん。もどってきたのかな。

 

そみそみ。

 

るーん。ときとき。サイバーメディアセンター。

 

ふふ。意味で満たされていてほしいとおもっているのは君だけだよ。

ぼくはそうじゃないから、薄っぺらい文だけ連ねて終わり。

 

おわり、

 

 

3回生もオワオワリちゃん

6セメも終わったので、現時点。

2/1に「夢と現実のハザマくん」っていう記事を書いたんですが、読んでいた本に自分の思考が飲み込まれていて、それがすごく嫌で消しました。でも、せっかく打った文章なんだもん!って思って、嫌だなって部分をそぎ落として公開しました。

夢と現実のハザマくん - なんかの夢

 

ミニ卒が本当にしんどくて。しんどかったなってだけの記録です。

ミニ卒とは「ミニ卒論」のことで、人にその話をするたびに「ミニ卒(笑)」みたいな反応で「いやこっちもそういう気持ちだよ」と思いつつ、そう呼ぶしかないのでそう呼んでいました。

卒論の小さい版。類語は、「卒論構想」

卒論で何を書きたいかをちょっとでも決めて、まとまった文章を書いてみましょうというもの。

 

何がしんどかったんだろうね。

 

自分の知識量のなさと、読書量の少なさと、そもそもの物事への興味の無さ。

その割に、私は大学にしか研究室にしかコミュニティを持っていない。その矛盾。

サークルに打ち込むでもないしバイトに精を出すでもないし趣味を楽しんでいるわけでもない。

就活は全くしていない。消去法的に選んだのは院に進もうかなという将来。

 

「何にも興味がない(何も研究したいことがない)」という状況は、自分の寄る辺の無さに直結した。

気分が落ち込んでいる時は視野が狭くなる。

コミュニティは研究室にしかなく、将来は院に進むことにしかないように思えて、でもそれにしては私は「何にも興味がない」

お勉強して研究してというのが唯一なのに、それに全く興味が持てない自分がいる。

「ミニ卒を書く」というそれ自体は小さな課題に、居場所のない孤独感や将来への不安が付着し、課題とは不釣り合いな大きなしんどさをもたらした。

とね、そんな感じだったのでしょう。

 

ミニ卒は結局ちゃんと(?)書いて発表したんですが、卒論も書かないといけないし、院進するなら研究構想みたいなのも書かないといけない。

そのたびに死にそうになりながら書くんだろうな。嫌だな。

夢と現実のハザマくん

 ☆2/1にかいたものの改変

 

ハザマくんは狭間くんであり、クレヨンしんちゃんの「かざまくん」と同じイントネーションです。イシバシハザマじゃないです。

 

◎なうぷれいんぐソング→Kyla La Grange 「Hummingbird」

 

最近は、必要に駆られて言葉を打つこと(レポート)が多くてヤになっちゃったので、自分の好きなことに言葉を使おうと思います。あと一本レポート残ってるんだけどな。

書きたいことがあるから書くのではなくて、文字を書かないと落ち着かないから書くときの気持ち。内容無しちゃん。

ちなみに、「Hummingbird」は私が夢を見ているときに聞く曲です。その話からしようか。

私が、落ちている時に聞くのは、ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)の「xanny」(昔は、「bad guy」だった)

なんだかフワフワしているときに聞くのは「Hummingbird」

『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY』という映画で、高橋一生桜井ユキがダンシングしながらセックスする時に流れる曲。躁状態。そのあとに高橋一生が自殺する。そういう曲。最初がめっちゃ「おっぱい」に聞こえる。大好きソング。

 

どっちも、わたしにとっては夢の時の曲。

 

最近は、髪切りたいけど人に会わんよなと思っています。切りたいね。

 

現実感みたいなものがなくなってきたのがいつ頃だろうと探ると、もう高校生ごろにはそんなことを言っていてウケた。とはいえ、私は決して現実を手放さない。むしろ、かなりリアリティみたいなものに固執する。

具体的に。

私はずっとラーメンズが怖い。

小林賢太郎が辞めた時も、まず「こっわ」と思ったし「これだからラーメンズは軸にして追えないんだよ」と思った。

私が軸にするのは、ラーメンズじゃなくて東京03

東京03を中心に、ラーメンズは周縁にある。なんだってこれだ。あんまり伝わりにくいかな。

ラーメンズってなんだか夢のような存在なんですよ。そもそも小林賢太郎が「自分はミッキーマウスでいたい」って言ってるから、そりゃあそうなんだけど。

私は、中の人が見えた方が安心する。むしろ、中の人が見えるあの瞬間に熱狂する。

 

サブカル的なものは、私にとっても「サブ」の位置にある。私は決してサブカルに身を浸せない。私はずっと俗的で、サブカル的な高尚さには近寄れない。

人間らしさとか親しみやすさとか汚さとかそういう現実的なものを軸に置いておきたい。綺麗だったり夢みたいだったりそういうのは外側だ。でも、外側にちゃんとある。

 

うんうん。

 

だから、夢と現実の狭間。というより、「足は現実に、目は夢に」という感じ。

現実を直視できるほど大人になれないからずっと夢を見ているし、でも夢にどっぷり浸れるほどの度胸もない。足を夢に置けたら、それはそれでおもしろいのにね。

 

リアリティというのは、別に現実を生きていれば生まれてくるものではなくて、なんだかもっと感覚的で、いやというよりそんなのは実際にはないんだけど、なんだかある気がするもの。私は、ずっと現実から足を離すのが怖い。

 

 

基盤となるような人間関係は、「現実」を感じる精神的な安定のために必要なのかもしれないとたまに思う。

 

 

10月ぐらいからやっとお勉強し始めて、今まで何してたんだろうと考えてしまう。本を読む習慣なんかほとんどなかったのに、なんだか本を何冊も借りている自分が怖くって。そんなこといってらんないのにね。

 

みんなえらいな。ずっと夢みたいなのが怖くて仕方がない。寂しい。夢の中ではずっと一人だ。冴えているのは私だけだ。

 

飽きちゃったな。ここまでにしましょう。言葉にすれば陳腐になるのはお互い様。

自分が苦しいときに苦しいのは自分だけだし、自分が素晴らしくあってほしいと願うのも自分だけだし、自分がどういう人間かを知りたいのも自分だけだ。

悲しいね。しょうがないんだけどね。

 

◎なうぷれいんぐソング→Billie Eilish「xanny」

 

英語わかんないから意味わかんなかったんだけど、みんな薬物やってるけど私はしないぜみたいな歌詞らしい。

英語分かる人は洋楽も意味が流れてきて大変だなって思ってます。わかる人にならないとなのかな。

 

ふふ。けっきょく。知らないうちに変わっているから心配しないで。とね。

夢が現実になっていく。知らないうちに。思っていた夢とは別の形で。