サーヤから教えてもらった音楽聴いて漫画読んで小説読んで映画見て、定期的に飲み行ってて、飲んだらかなり距離近いのに、浮気疑ったらセックスしてないしただの友達って言われるところまで想像できる。
サーヤ的な人間を好きな男(特定のモデルはいない)に対する怒りを募らせていたら日中が終わった。
そういう男は、恋人に対して自分の意見をほとんど言わず、型にはまった「女性への振る舞い」でうまくやったと思い、恋人の参加していない飲み会で「女ってわがままだよな笑」とか言っている。
ムカつく。
バカな女になりたくない、それだけが私を本を読むこと、映画を見ること、考えること、に駆り立てている。
ふざけないでほしい、とおもう。
「普通」の男はバカではないのに、「普通」の女はバカだと思われて、それに対抗するには「男と対等」の知性を持たなければならない?
なんだ、それ、ふざけんな、ムカつく。
『哀れなるものたち』を見た。
幼児ほどの脳(精神)年齢であるベラに対して、当たり前に恋愛感情を抱く男たちが全員気持ち悪い。
マックス、お前もだよ。
バカな女になりたくないのは私だけで、
お前らは私がバカでもバカでなくてもどうでもよくて、いやどちらかといえばバカであってほしいとおもっている。
無意識的に、バカな方が「かわいい」とおもっている。
嫌な話だなぁ、まったく!
この前ムカついていた時に書いた文章も載せておこう。
大学・大学院生時代を振り返って、強くおもうのは私は「女」をやったのだということ、男社会である研究室の中であらゆる意味で「女」をやったのだということだ。
人をケアし、欲望の対象となり、力を見せ合うための駒となり、日常を担い、議論の場面ではにこやかな傍観者として過ごした。
そのことは、すべてのあなたたちへの憎しみであって、自らの不甲斐なさであって、やっぱりそれはヒステリックな「女」の言葉でしかないだろうか。
自分の努力不足を「女」に回収してしまうような言いがかりでしかないだろうか。
「女」をやった。
「女」をやめるには、男たちが話していることを知らなければならないし、男たちが語っている言語で語れなければならない。
同じところで同じように泣くのを繰り返している。
あきらかに推論が誤っている。先入観を取り除かなければならない。
あ~~~でも、ぜんぶムカつく!
才能や知性でもって男社会に溶け込める女性が何よりも羨ましかった。
私は、ただ男になりたかった、だけなのかもしれない。
それにしては学ぶことに対する意欲があまりなくて、私はなりたいものにはなれなかった。
でも、全てがやっぱり間違っている。「バカな女」だと思わされている、男社会に参入することを目指させられている。
慎重に診断していかなければならない。