なんかの夢

日記ニキ

23.08.19 覆水盆に返らず

もう盆には戻れない。実家には戻れる。

実家へと帰省した。

盆は盆としてやらせていただいていて、文字を読むことも書くこともせずにただ身体を動かしていた。

 

適当な活字すらあまり頭に入ってこない。リハビリをせねばならない。

 

夢が実家仕様になる。

いまだ高校生である私が登場する。夢でまで、私は場に支配されている。

 

実家は私がいた頃よりは幾分か環境が良くなっているけれども、やっぱり実家にいる時の私のことが私はあまり好きではない。

実家を出て良かったとおもう。

 

あたりまえだが、思ったように作業が進まず焦って気落ちする。

全般的な不安も押し寄せる、軽く泣いてしまう。

 

実家では実家でしかできないことをやっていき、作業は最低限出来れば良しとする。

不自由な中でもがいても仕方がない。

料理を手伝ったり地元の散策や観光をしたりしたい。

 

 

場に支配されてしまう自分のことを考える。

就職した後は、研究室にいたここ数年の私からは大きく変容してしまうだろう。

そんな時に何を変わらないで置いておけるだろうか。

 

ずっと流れているテレビに嫌悪感を抱く。テレビ局を第一志望に就活していたとは思えない。情報が常に入ってくる空間は苦しい。

でも、テレビは不安や恐怖を軽くしてくれるものでもあって、一種お酒のようなものだともおもう。ぼんやりと見ているうちに時間がたつ。

 

ルーティンで固めた日々が壊れて漫然と時間が過ぎていく。

時間を持てあまして鬱になるほどではないが、何かを掴めたような快楽もない。

ただ「生活」がそこにはあって、それは当たり前でないのかもしれない、が、私はそれに気づけない。

 

「生活」で私は十分だったのに、と思った後で、彼らにとってはそれが「生活」なのだと気付く。

「生活」に組み込めない以上、私はやはり向いていなかったのだ。

私は「生活」に向いている。ただ「生活」をやれるだけで私は幸せだった。

 

何度も通ってきた鬱に返ってきている場合ではなくて、目の前のことをただ淡々とやっていく。

あの頃見捨てたものが今輝いて見えるように、今見捨てたものが今後輝く可能性があって、そこに傾斜をかけているのは紛れもない私だ。

かけなくていい傾斜をかけて、私がいつも一番下にいる評価軸を採用し続ける人生。

認識の側にエラーがある。

 

 

戻りたい過去なんてなくて、こんな低調でも今の私が私の中では一番好き。

変わってしまったらきっと壊れてしまうのだとか、もう下降していくばかりなのだとか、変わらない頃から考えていても仕方がなくて、今をやっているうちに勝手に変容していく。

 

 

実家に戻っているのに実家のことを否定的に考えて鬱に陥るのはコスパ(?)が悪いので、普通に実家を楽しんでいけよとおもいます。

あんたそういうこと多いよ、今あるものを楽しむ以外にやりようはないよ。

今できることと今後やりうることだけを考える。

今できないことばかり想像して落ち込むのはもうやめ、おわり。

 

 

明日からはリズムを戻していけたらよいな。