いつだったかシャワーヘッドを口元にぶつけてしまい、時間差で口内炎ができた。
今、唇に大きな口内炎を抱えながら2023年を終えようとしている。
2020年は終わるけど、私の人生は終わらないから。
と3年前の私は言い訳をして、総括を書いた記事を公開しなかった。
どことなくその年の総括をするのは恥ずかしいことのように思えて、年末ぎりぎりになると結局書かないのだけれども、今後の私のためにも簡単に記しておきたい。
今年の目標は「習慣の再構築」だったわけだが、なんであんなにもあの頃「習慣化」が大事だと思っていたのかを思い出せない、と書いたところで思い出した。
そして、1年間で私は「習慣の再構築」がどうでもよくなってしまったので、達成できたかよくわからない。でも、「再構築しよう」という心意気が失われたので、もしかしたら気にならないほどには変化したのかもしれない。
1年前のこの時期、私はテレビ局に就職しようと思っていたのだから、やはり人間は1年で大きく変わるものだと思う。
・就職先を決めることと修論提出、目標ではなくおそらく淡々とおこなわれていく事象。
と元日の日記には書かれていて、本当にそうだったとおもいつつ、それを「目標」としていいじゃないか、と今の私はおもう。
システムエンジニアの職に決まって、アカデミアを離れることを決めて、修士論文をおおかた書ききった。
職なし修士号なしだった私から、職あり修士号ありの私へ。大きな変化である。
人生のいろんなことが変容して、その瞬間瞬間で泣いて苦しんで乗り越えてきた。
絶対にもう一度やりたくない年で、でも今んところ一番いい年だった。
日々、年々、私の人生はよくなっていると感じているのだけれど、数日前から鬱っぽくてそういう実感も薄れて「なんもおもんないねん」とか吐いていたけど、でもやっぱよくなってきているとおもう。
良くなっていかなくてもいいし、良くなっていってもいい。
2024年の目標は「折り合いをつける」
自分にはどうにもならないこと、他人のこと、自分の身体のこと、自分の気質のこと、ありようのこと、それらに折り合いをつける。
「習慣の再構築」から「折り合いをつける」へ、と見てみると、私は「変えられない部分もある」ということをやっと受け入れようとしてるんだろう。
人に恵まれた一年だった。
苦しい時はすぐにSOSをHELPを出して、いつもあなたたちは対応してくれた。
「「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?」がテーマソングだと思っていた時期もあったが、今はもうそんなことは言えない。
自分から見ても側から見ても「ひとりで生きられそう」ではなくなった。
あなたがたのおかげで生きられている。
来年も、よろしくお願いします。
本当は、緩やかに破滅に向かっていたのかもしれない。
自分の中にあった自分への過信が、就活と修論執筆で崩れ去った。
どう処理していいかわからない。
でも、何も問題ではないような気もする。
少しずつ体勢を立て直して、少しずつなりたい方向へ向かっていくこと。
趣味だとか熱中できるものを楽しいと思えるものを、見つけられたらいいなぁ。