なんかの夢

日記ニキ

23.10.16 気が向いたら愛してね

修論が書けないあまりに、哲学系の博士を持っている人と性行為をすることで何とか代わりに修論を書いてもらえないだろうか、と妄想をしていると一日が終わった。

 

どんなセックスだったら6万字書いてもらえるだろうか、流石に専門が違いすぎると書けないだろうか、いやでも修論レベルなら書けるかな、人の修論をセックスごときで代筆するような態度の人間が博士号を取れるわけがない、なんというか金を払ってセックスする博士はいるかもしれないが研究不正をしてセックスをする博士はいないだろう、とか考えていたら日が変わっていた。

 

私は童貞なので性行為がすべてを解決すると思っているが、そんなことはないとうすうす気づいている。

そんなことはないと気付いてからが人生だ。

別に「セックス」じゃなくてもよくて、各々が思っている一発逆転の魔法で良い。

すべてがひっくり返るような出来事など起こり得ないと気付いてからが本番だ。

 

うえ~ん。困っちゃうね。

 

 

このままではいけない、と思って、失いつつあった自律性を幾分か取り戻した。

また、年末に話すかもしれないが、今年の元日の日記には以下のように記されていた。

2023年:私の人生を生きる

 

2月7日の日記にはこう記されている。

私の人生は私で切り拓かなければならない、それ以外を私が許さない。

 

何かの危機の反動でおそらくこう言い聞かせているが、10月に至るまで私はゆるやかに私の人生を放棄し、ゆるやかに私の人生を諦めていった。

「それ以外を私が許さない」という矜持は失われつつあったのだが、それでは本当に「人生」が失われそうになっていた。

非人称的な「人生」を生きることなど不可能で、私は「私の人生」を生きるほかない。「私が」許さないどころか、そもそも許されていない。

 

私を辞められないということをどうやって引き受けるか、とか。「引き受ける」みたいなの好きだよね、みんな、ウケる(笑)

 

 

てめぇらに愛されたって修論は一文字も増えないし、あたしが一文字書けば一文字増えるし、ねぇ!そういう話!