なんかの夢

日記ニキ

24.01.02 わからない

 

日中、発作のように鬱屈してしまい、ここ最近でも特段ひどく暴れた。

泣いて叫んで叩いて泣いて。物を投げたり自分を投げたり。苦しい、とにかく中にあるむずむずしたそれを外に出したい、苦しい。

 

それを誰も知らないだなんて耐えらない、転じて。誰かがあなたが鬱であったことを知っているよ、と言ってくれるだけで心がやすまる。

 

私は常に何もわからなくて、なぜかいつもみんなが代弁してくれて、わかっている側に置かれた。あるいは、わかっているふりがうまかった。

私のことを誰もわかってくれない、というよりむしろ、言葉は私の手を離れて好ましいように解釈されていくという普遍的な事象、なのかもしれない。

 

書くことや話すことに得手不得手があり精度があると気づいては、叫ぶことでしか、叫ぶことでしか。

 

「あぁ、語彙力をつけたい、というのは今年の目標かもしれません。」

 

 

いやだいやだいやだ、いやだいやだいやだ。いやだよ、どうしよう。ねぇ、どうしたらいいんだろう。わかんない。

 

深呼吸。

 

まるで、まだ私は普通に生きているかのように扱われるとムカついてしまう。

もうあなたたちみたいには生きていないんだよ。私は、私は、ただ毎日を生きるだけを精一杯やっていて、あなたたちみたいに、あなたたちみたいに、目標もなければ成果もなければ生き甲斐も楽しいことも何も何もなくって、何もないけど、どうにか生きてんのに、、どうにか生きる以外のことをできて幸せでしょうね。と、ルサンチマン。飼い慣らせなかった。

 

どこから健やかになればよかったのか、どこからでも健やかになれるはずだ、これからでも。

これからでも、幸せになれる、これからでも、健やかになれる、これからでも、さまざまなことをやり続けていけばよく、できるようになることもきっとあるはずで。

 

 

 

 

気分を安定させてください、と初詣で祈って、2日でこうではわけないよ。

 

自分のこと以外に早く気持ちが向くようになりたい。

 

当該地域の方の被害が少なくありますように。ご無事でありますように。