修論中間発表があった。
もっと厳しく言って!!!!!というような気持ちもありつつ、良くいってもらえることでモチベーションが上がってきているのも事実だ。
褒められるとのびるタイプや怒られるとのびるタイプがあるが、私は適切に期待されるとのびるタイプだと思う。
「適切に」というのが肝で、結局それを私がまっすぐに受け止めきれるかどうかにかかっているわけだけれども。
立派な理想像を描けた自分が 夢そのものより愛しいかい
- エピゴウネ/日食なつこ
警告のように流れている。ここからあとはやっていくだけだ。
「夢が現実になっていく、思っていた夢とは別の形で」
自分で言った言葉を自分で大切にするのは私の癖で、この言葉を書いたのはもう2年以上前だった(「夢と現実のハザマくん」最後の文を見よ)。
おそらく書いた時には決してそんな実感はなく願いのように書いた言葉だったけれども、それは確かに現実になっている、実感を伴っている言葉となっている。
七夕に何を願うかに対して「破壊」と答えるボケは用意していたボケで、極めて露悪だったと後輩に指摘された後で少し反省した。
七夕に何を願うか、「ちゃんと」考えておきたい。
「ちゃんと」って何?ときかれて、「ちゃんと」に潜む大喜利的スタンスに自覚的になった。
7/4の自身のツイートより引用
マック食べながらだらだら喋る奴やりたい。私も通ってきた青春すら眩しくなってきている。
マックをやっと食べられた。
イオンのフードコートでマックを食べてゲーセンで太鼓の達人をやること、すなわち「青春」をやらせてもらった。
夏だね、
青春の時期にこじらせてきた分、輝いていると思えば、すべてが肯定されるような気すらする。
地を叩いていた自信が少し戻ってきていて、健康に日々を過ごせている。
健康に過ごす日々と言うのはとても楽しくて、
だから、健康である方がよい。
毎回ここで「愛している」という言葉を打とうとする。
そういえば、バスから降りる時に、絶対に「ごちそうさまでした」が先にでてきて、ぐっと抑えた後に「ありがとうございます」といっている。
何度も「ごちそうさまでした」と思ってしまうもんだから、きっとバスに乗ることと食事には何かしらの連関があるにちがいない。
久保先生が出演されているポッドキャストを久しぶりに聞いた。
途中までになっていたのを、ロボット関連の話をきいたことで思い出して、再び聴いた。
知っている賢い人が賢いことや考えていることを話している音声がすきで、寝れない時や疲れた時にきいている。久保さんのもその一つだった。
「おわり」のかわりに、全人類へ、「愛してる」