疲れると過去をなぞることしかできなくなってしまって、繰り返し過去を思い返す。
やっと北海道に行った。いろんな側面から語れるだろうが、この側面が今前の方へ出てきている。
北海道をコヒと表現する文化は意外と狭い界隈のようだと知る。
あの頃もよくわかっていなかったし、今もよくわかっていない。
随分と遠い方へときてしまったが、最初から近かったわけではなかった。
手の届かない場所にあって、わからないままに言葉を反復してついて行っているふりをしていた。
今は少し大人になったから、彼には彼の界隈があってそこでは極めて人間らしく生きていたことに気づける。
ラーメンズもそうか、と思うと、私がいかに彼らのブリコラージュで(切り貼りで?)全身を構築しているかがわかる。
でも、私自身はそうではないので外側にあり、だからいつでも彼らにはなれない。
いや、最近、もうそうやっていきていくことを決めた。私は「彼ら」になる。
わかることを言う人よりわからないことを言う人の方が好きだが、わからないままにそれを模倣する私は、私は…?危うい。間違った方向へと論が進みそうになる。そういう話をしたいわけではない。
「外側にあり」のところが誤っている。
彼らを私の中で生かすのが好きで、私の中で生きる彼らは私だ、ってこの話前にもしたよね?
彼が彼女と仲睦まじそうにしている夢は、確かに前にも見たことがあって、それは現実で彼が彼女と仲睦まじそうにしていたことを想起させる。とても嫌な記憶だ。
彼が極めて普通の人間であり、私はあの頃何もわかっていなくって、だから彼と人間として会話ができなかったように思えて、普通に会話してみたかったなとか思ったのが正直なところです。
北海道で古い記憶がよみがえってきたという。
私がどうとかってそういう話はキモいからなしにして、でも書いたから一応残しとく。
過去を反復することと夢を反復することは似ていて、というより夢が過去の反復なのだから、夢の反復は過去の反復の反復である。
過去と夢の反復で食いつなぐ日々はもう終わっている。
ちがうんだ、そうではなくて、これは彼の話ではなくて私の話で、だから私の話をしているの。ちがって。そうじゃなくて。あの。そうじゃなくて。
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