2023,7,14 七で割れる日。
午前中、先天的に耳が聞こえない大学院生さんの講義を受けた。
ろう者の方とコミュニケーションをとるのは久しぶりで、しかも一対一の、自由なコミュニケーションをとるのは初めてだったかもしれない。
それぐらい隠されている、ということでもある。
ろう者の生きる世界というのは、聴者の生きる世界から音がなくなるという単なる引き算で成り立つものではない。
聴者が音で感じ取る車の接近を、ろう者は目で見て認識する。
雷も、ゴロゴロと言う音ではなくて振動で感じ取ることができる。
聴者の中で聴覚が占めている(と聴者が思い込んでいる)事象に関して、ろう者は、触覚や視覚によって認識を行う。
そのようなろう者の世界は、決して聴者の世界から聴覚を引き算したようなものではない。
全く別の様相を帯びており、感官が全く別様に組織化されているのだと感じた。
来ていただいた大学院生の方とのコミュニケーションは楽しかった。
「雑談が聞こえない」というのが一つのディスアビリティであるという話があったので、別のコミュニティで話している際に、携帯のメモ機能を使って「○○の話をしています」と教え、最後には手話で「ありがとう」を伝えて立ち去った。
雑談の内容を教える時は、さながら、トイレから帰ってきた人に「今、○○の話してるのよ」と教える時のようだった。
最近は言語習得へのモチベーションがたかまっているが、その中で手話も少しは学びたいと思った。いろんな人と交流できた方がうれしい。
後輩と話したかったラジオの話をした。とても面白いラジオなので、「エロゲ」に拒否反応がなければ聴いてほしい。「カラタチの最果てのセンセイ」。
学生相談室でまた雑談した。心理が明るい分野ではなくて、医療業界での扱いも悪いし給料も良くないという話を聞かされる。なんで私の方が話を聞いているんだ?
でも、セーブポイントのような感じなので定期的に通う。
前の指導教官と会った。
元気そうで何よりだと思った。
私は、愛嬌と面倒見の良さだけでなぜか気に入られてなぜか研究室にいられたのだということを思い出して、何か心に来るものがあった。
そういうことばかりがうまくなった数年だったような気もする。
私には、知性が求められておらず、あまりに「女性」的な役割だけが求められていた。
「女性」役割を全うしていた。そういうことが要求されていた。
解放されてよかった。