中之島にいった。
おしゃれなビルヂングのおしゃれなお店でランチをして、中之島美術館の展示を見る。
民藝、レンゾ・ピアノ+新宮晋の二つの展示を見た。
展示の詳しい感想は気分じゃないので措く。
どちらも良い展示であった。一緒に行った人の感想や視点が自分とは違ってかなり面白かった。人と行くと見えないものが見える。
美術鑑賞の仕方がよくわからないが、量をこなすことで体得できると信じている。
「~だと思いつつ、・・・だとも思う」という表現を避ける。
私に多い表現であり、だから禁止をかける。今日だけね。
「~であり、(接続語)or(それは)・・・」も多い表現だ。
けれども、こちらには禁止をかけない。制約と誓約っつっても、そんなに制限かけないでよ。
夕飯には、ずっと行きたかったイタリアンへと行った。
どの食べ物もおいしくて、さすが予約のとれないお店だとおもった。
「何を食べてもうまい」ということほど幸せなことはない。
やっぱり、今日の展示を見て「よくわからなかった」というもやもやが少しだけ残っている。だって、「よくわからなかった」。
『共感百景』でのAマッソ加納の回答が思い出される。
『共感百景』とは、お題に沿ったあるあるを詩にして表現して発表するテレビ番組である。
その時のお題は「嘘」。Aマッソ加納の回答は「絵画を見てる秒数」だった。
加納の天才っぷりが感じられる。美術館に行くたびに思い出す。
今日だって、焼き物を見る時間に、建築模型を見る時間に、きっと「嘘」があった。
でも、「嘘」でないこともある。長く見ることはそれだけで違ったものを見せてくれるはずだと信じているから。
私はいろんなことを「信じて」いるね。だって、信念を持たないと立てないもの。
「わからない」が駆動するものもある。建築のことはそもそもあまりよくわからなくて、でも確かに最後に見た建築の設計図は美しかった、だとか。
もっとわかるようになりたい、もっとわかるようになりたいなら、もっとわからないことを見なければならない。mustは嘘を孕んでいる、常に。
出来事の語りが苦手だ。思ったことを語っているといつの間にかこんな時間になっている。慌てる。
さて、今日の短歌。
火の通りにくいものから鍋に入れ軟らかくなるまでに泣きやむ 泳二
ごめん、本当は泣きそうだよ。
これを見てくれているであろう人に、何を語ればいいのかわからない。
私のすべてを語ってしまっている。同じことを平然と目の前で語るので、あなたの前でしか語らないことをあなたが引き出してくださいね。
あるいは、私が語ることで公然の事実として扱えるようにしますね。
7分オーバー。毎日1000字書くことでのロスタイムは?その時間で何ができた?その文字数を論文に使ったらどう?
とか、日記を書く時間は日記を書く時間でしかなく、日記で語る言葉は日記で語る言葉でしかない。代替はきかない。
なんでもかんでも、代わりなのだと、思うなよ。
悪い癖だぞ。