久しぶりに化粧をしたら、私は可愛かった。
君も私の顔が好きらしいけど、私も私の顔が好きです。
昨日は、友人に誘ってもらって大学の同期と後輩とM-1の準決勝進出者発表会をおこなった。発表会自体はすごく楽しくって、久々にギャーギャー騒ぐことができた。
その後にいろいろと考えた。
私が強く応援している組は「当たり前に準決勝にいく」か「私は大好きだけど準決勝にはいかなさそう」のいずれかであって、「意外だけど準決勝にいきそう」のラインを出すことができない。
3回戦動画では、デルマパンゲ、忘れる。、じぐざぐあたりがとってもすきで、でも確かに上がらないのも分かる気がして、むー!ってなるね、でもやっぱ好きだよ。
むー!だ。このツイートをしたときは、落ち込みかけた精神を睡眠によって回復させたあとで、異様に頭が澄んでいた。
「3回戦動画でどこ面白かった?」という問いに彼らの名前を出さずに、Twitterの人や知り合いが「面白い」と言っていた組を横流ししている私の防衛心が恥ずかしくなった。
今日、生で忘れる。をみた。めっちゃ面白くて、あと鶴山さんがかなり好きだった。初めて見た時からなんですが、私は鶴山さんがかなり好きです。
チェキを取ってもらったのだけど、お二人とも優しく対応してくれて大好きになった。
その後にまたいろいろと考えている。
よく考えたら、2か月ぶりのお笑いライブで、行くお笑いライブに虹の黄昏が出ている率がどんどんあがっている気がする。ここ数年、そういうライブにしか行っていない。
端的に言って、私はもうお笑いファンとは言えないような状態にある。
明らかにそうで、ずっと2019年・2020年あたりのよく追っていた時期の記憶を繰り返し再生している。
お笑いファンを名乗るためにお笑いを見ているわけではないし、そんな称号いらないし、好きな人を見ていればそれでいいじゃない、と思うのだけど、でもそうだな、多分、お笑いから離れてんだな私って。
100%自分で出会うことはできないけれども、行ったライブにマユリカがいて大好きになった時のような、真空ジェシカの川北がXから始まるえっちなサイトにぷよぷよ実況動画をあげていて、その時の一言一言にひかれた時のような、R-1ぐらんぷり2019の敗者復活で岡野陽一を見て信仰することを決めた時のような、そんな衝撃的な出会い。
自分が自分の感性でババッと掴んでしまうようなそんな出会い、が欲しい。
よくわからなくなっている。よくわからないんだよ、よくわからない。
あまり売れていない芸人とファンって狭いコミュニティで、芸人とファンも、ファン同士もある程度顔なじみで、「田舎」という感じがする。
たまたま私みたいな新参者が行くと、明らかに「よそ者」である。
それでも、私はずかずかとチェキとかを取ってしまうのだけれども、あぁよそ者だったなとは思う。だけど、ここで顔なじみになるためにライブに通うのも意味わかんないなと思って、毎回少しもやついて終わる。
そういえば、もう私は同じ大学にBとMで6年間も通っていて、同じ研究室に4年間属している。
私のことをよく知る人たちとばかり関わっていて、あまり外に出ていない。
小中高も、いつも私は「内部」のマジョリティに属していて、「外」にはいなかった。
物心がついてから初めて出会った「外」はおそらく大学で、全然うまくいかなかった。
「全く」とは言えない。それでも私を気にかけてくれる人がいて、仲良くしてくれる人がいたから、今がある。あでしゃ(ありがとう出会いに感謝)。
それだからか、「よそ者」であることに耐えられない。あなたは私を知らない、という状態にうまくなじめない。
わからない、もっと私を知っている人を増やしたい。属するコミュニティを増やしたい。私もあなたを見ていて、あなたも私も見ている。そういうコミュニティをもっと増やしたい。でも、これからどうやって増やせばいいんだろう。
やっぱり、行きつけのバーとかつくって、そこの常連さんと仲良くなったりしたいな。
社会人になってお金や気持ちに余裕ができたら、またライブにたくさん通えるだろうか。
修論に追われていて、0から人間関係を構築する努力をすぐさま始められないからもどかしいのかもしれない。人間関係は一朝一夕にしてならず。
修論の鬱が消えたときに、ふんわりとでてくる鬱があって、その鬱に向き合う時間がなかったのだけど、時間が余ったので言葉にしてみた。
明日になったら馬鹿馬鹿しくなっているはずだ。さっさと修論のことに血を巡らせてくれ、と思うはずだ。ごめんね、今日はそういう気分だった。
誰からも見られていない、誰のことも見ていない、誰とも関係を結んでいない、人間を人間として見て、人間と関係を結ぶことを私はしていない。
わからない。何もわからない。
デトックス。なぜか心にもやがあって、なぜか泣いていたが、書き始める前よりは整った気がする。
あなたの言葉をなぞって語る。
必要のない鬱、むー!
私が幸せだったらそれでいい。
私が幸せであることを第一に考える人生にしていきたい。
そういう方向に価値観を変容させていきたい。
もう私が何かになる(笑)みたいな時代は終わりました。終わっちゃったんだなぁ。
かなしいね。