なんかの夢

日記ニキ

23.11.16

ここ一週間、かなり気が狂っていて、ずっと精神がぷかぷか浮いていた。

 

いらないことが思考に混ざる、ぐるぐると巡る。

泣きグセがついてしまって繰り返しボロボロと泣いてしまい、泣きながら自転車に乗って帰った時点でこれはまずいと思って、SOSを出した。

というか、今週はSOSを出しまくっていろんな人に助けてもらった週でもあった。

ありがとう。

 

修論がまとまらないのと連動して生活の方もまとまらない。

修論の鬱が緩むと、生活の鬱がググッとあがってくる。しばらくすれば落ち着くもので、すぐに手を打ってことを大きくしたほうが間違いだったかなとか思うけど、そこまで検証してらんないね。

 

もう一段階ギアを上げ直して、修論だけのことをグッと考える視野狭窄モードに戻る。

資格のことは諦める。ずっと頭の片隅にあって、多分これが地味に精神をすり減らしている。

マルチタスクがとにかく苦手で、精神的に一つにしか集中できない。もっといろいろできたらよかったのにね。

資格は今回取れなくても大丈夫なので、1月にまた頑張ることとする。修論を先にやらねばならない。

 

 

(と、ここで寝落ちしてしまっていた)

 

 

 

23.10.16 気が向いたら愛してね

修論が書けないあまりに、哲学系の博士を持っている人と性行為をすることで何とか代わりに修論を書いてもらえないだろうか、と妄想をしていると一日が終わった。

 

どんなセックスだったら6万字書いてもらえるだろうか、流石に専門が違いすぎると書けないだろうか、いやでも修論レベルなら書けるかな、人の修論をセックスごときで代筆するような態度の人間が博士号を取れるわけがない、なんというか金を払ってセックスする博士はいるかもしれないが研究不正をしてセックスをする博士はいないだろう、とか考えていたら日が変わっていた。

 

私は童貞なので性行為がすべてを解決すると思っているが、そんなことはないとうすうす気づいている。

そんなことはないと気付いてからが人生だ。

別に「セックス」じゃなくてもよくて、各々が思っている一発逆転の魔法で良い。

すべてがひっくり返るような出来事など起こり得ないと気付いてからが本番だ。

 

うえ~ん。困っちゃうね。

 

 

このままではいけない、と思って、失いつつあった自律性を幾分か取り戻した。

また、年末に話すかもしれないが、今年の元日の日記には以下のように記されていた。

2023年:私の人生を生きる

 

2月7日の日記にはこう記されている。

私の人生は私で切り拓かなければならない、それ以外を私が許さない。

 

何かの危機の反動でおそらくこう言い聞かせているが、10月に至るまで私はゆるやかに私の人生を放棄し、ゆるやかに私の人生を諦めていった。

「それ以外を私が許さない」という矜持は失われつつあったのだが、それでは本当に「人生」が失われそうになっていた。

非人称的な「人生」を生きることなど不可能で、私は「私の人生」を生きるほかない。「私が」許さないどころか、そもそも許されていない。

 

私を辞められないということをどうやって引き受けるか、とか。「引き受ける」みたいなの好きだよね、みんな、ウケる(笑)

 

 

てめぇらに愛されたって修論は一文字も増えないし、あたしが一文字書けば一文字増えるし、ねぇ!そういう話!

 

 

 

23.10.09

なんかね、アプリで外国語勉強できるやつがあってね、それをインストールしたのね。

で、とりあえず英語やろうと思って選択して、最初の自分の腕前テストのようなものをしたの。

そしたら、いっちばん最初の「A1 ビギナー」ランクで、Hello!から練習が始まって、お風呂に入りながらだったんだけど、なんか悲しくなっちゃって。

だってね、同じ学年のみんなとかはペラペラ英語が話せて英語話者の人とコミュニケーションが取れるのね。

でも、私は多分小学生ぐらいの英語しかできないわけ。

何して今まで生きてきたんだろうね。

最近ずっとおもってるの。私の人生なんだったんだろうって。

だって、何もできるようにならなかった。何も成長してこなかった。

ただ毎日毎日しにたいって思ってたら時間が過ぎてて、そうやってなぜか生きてこれてて。

中学生とか高校生の時とかにしんどけばよかった、ってずっと思ってるのね。

だってあの頃だって毎日しにたくて泣いてたのに、どうして今も同じように泣いていないといけないんだろう。

あの頃にしんどけば今はもっと楽だったじゃない?ねぇ、これがあと何年続けばいい?

 

ねぇ、どうしたらいい?どうしたらいいんだろう…

どうしよう

 

23.10.05 連なり

これは信じてほしいんだけど、私、今が一番幸せなの、ずっと不幸みたいな顔してるけど。

 

近所のカレー屋さんに行った。最近、「私はカレーがそこまで好きではないのでは?」と思っていたので、確認のために行く。キーマカレーと通常のカレーが両方のった「プレミアム」と名前の付いたカレーを食べた。キーマカレーの部分がおいしかった。

そこは近所密着型のお店のようで、私以外の来る人には「お久しぶりです」や「あ!こんばんは~」というような初見ではない感じの挨拶をしていた。腰が低く丁寧な感じの店主だったから、私も数回いったら覚えてもらえるかもしれない。

 

カレーを食べたいと思っていたが、思い返せばカツを食べたかったようだ。ただ、事実上カツを食べるのは無理だった。胃が衰えている。

 

秋の夜は苦手だけれども、一番夢に近い気がして、そういうところは好き。

 

良く考えたら、去年の10月も、おととしの10月も失恋している気がする。失恋の10月。

 

文字を読むためにココアをいれたが、文字を書いている。

 

キーマカレーは好きなんだけど、やっぱりそのほかのカレーってかなり難しい、よね?もうちょっとカレー食べてみる。カレードリア、とかの方が好きかも。ガンガのチキンムグライカレーとチーズナン食べたい。カレーわかんねぇ、わかりてぇ、カレーって一口目衝撃型というよりじわじわやみつき型の「うまい」が多いからよくわかんないんだよな。スパイスカレーよりもカレーライスを分かりたいかも。カレーのこと悶々と考える。やっぱ、辛くなかったインドカレーが許せない。北海道のスープカレーは骨付きチキンがほろほろでうまかったけど、あれって「カレー」がうまかったってことになんのかな?カレーのこと、わかるお店があったらぜひ教えてください。

 

食に対する感覚が少しおかしくなってきている。

沼地のような欲求。何を食べても満足できない身体になってきている気がする、恐ろしい。食事に対する期待と後悔が強まりすぎている。さすがにこれでは身が持たない。少しゆるめる。

 

「依存先を増やせ」って、趣味やコミュニティを増やせという意味で、セックスする男を増やせという意味ではないらしい。

 

食べ物の好き嫌いが多く食へのこだわりが強い、常に過眠気味、ポルノ依存なんですが、なんていうか三大欲求全おしまいじゃないですか?欲に弱いんすかね。

ポルノ依存は嘘かもしんない、みんなと同じぐらいしか見てないです。

 

1000字がちょうどよい。

その分論文書いた方が良いとかわかってるわけよね、あすから、あすからね。

 

 

 

23.10.04 彼女

ヤマシタトモコの短編をぼちぼち読んでいる。

 

ミラーボール・フラッシング・マジック』『くうのむところにたべるとこ』『HER』をよんだが、『HER』が特別良かった。

 

ユリイカヤマシタトモコ特集を文字を読むリハビリとして読んでいたので、急激にヤマシタトモコに対する理解が深まっている感がある。

 

『HER』が特別良かったということは、裏を返すとその他はバチンとはまった感じがしなかったわけだが、悪かったというわけでもなく、『HER』を読んで「あぁこれはいいわ」と思ったのだった。

端的に共感があったからよかったというわけではあるだろうけども、一方で「いろいろな女」を書いているからよいとおもった。

印象的だったのは、「女がキライ」で「将来の夢はおよめさん」である女性が、育ちが良く自立していて裏表のないスッとした女性に愛憎入り混じる思い(憎が強め)を寄せる短編で、女のそういう一面も(あるいは「そういう女」も)書けるのか!と感動してしまった。

 

フツーに囚われる女子高生が近所の魔女のような老女に出会う話も、その老女の美しさに魅了されてしまったし、母の不倫を見てもやもやし続ける女性の話も、その女性の化粧っけのなさ地味さと性への奔放さのアンバランスさやゆきずりの男との関係性がすごくよくて、好きだった。

 

もう一回その他の二作品も読み返すか。

どうしても18歳以下の人間に手を出す大人の物語は受け入れがたくて、あと普通に自分より相当若い人間を真っ当に好きになる意味が分からなくて、『ミラーボール・フラッシング・マジック』は刺さらなかったのかもしれない。

 

私は年上が好きな割には(年上が好きだからこそ?)、自分より年が下の人間を恋愛的な意味で好きになる意味が全く分からなくて、だってコミュニケーションが取れないじゃないですか。会話が成り立たないじゃないですか。自分が言っていることを理解できる知性を持っていない人間をどう愛することができる?それは性欲の対象として?愛玩動物として?その二択しかなくて、「人間として」「恋愛感情として」好きになる意味がよくわからない。

って、ずっと思っている。

 

 

無駄が多い日々を過ごしていて、もっと詰め込める、もっと詰め込まなければおわらないという焦りばかりが先行する。

ここに1000字も使っている場合じゃない。

 

スカスカの日々をもう少し詰めていく。

 

23.09.29 ゆめ

疲れると過去をなぞることしかできなくなってしまって、繰り返し過去を思い返す。

 

やっと北海道に行った。いろんな側面から語れるだろうが、この側面が今前の方へ出てきている。

 

北海道をコヒと表現する文化は意外と狭い界隈のようだと知る。

あの頃もよくわかっていなかったし、今もよくわかっていない。

随分と遠い方へときてしまったが、最初から近かったわけではなかった。

 

手の届かない場所にあって、わからないままに言葉を反復してついて行っているふりをしていた。

今は少し大人になったから、彼には彼の界隈があってそこでは極めて人間らしく生きていたことに気づける。

ラーメンズもそうか、と思うと、私がいかに彼らのブリコラージュで(切り貼りで?)全身を構築しているかがわかる。

 

でも、私自身はそうではないので外側にあり、だからいつでも彼らにはなれない。

いや、最近、もうそうやっていきていくことを決めた。私は「彼ら」になる。

 

わかることを言う人よりわからないことを言う人の方が好きだが、わからないままにそれを模倣する私は、私は…?危うい。間違った方向へと論が進みそうになる。そういう話をしたいわけではない。

 

「外側にあり」のところが誤っている。

彼らを私の中で生かすのが好きで、私の中で生きる彼らは私だ、ってこの話前にもしたよね?

 

彼が彼女と仲睦まじそうにしている夢は、確かに前にも見たことがあって、それは現実で彼が彼女と仲睦まじそうにしていたことを想起させる。とても嫌な記憶だ。

 

彼が極めて普通の人間であり、私はあの頃何もわかっていなくって、だから彼と人間として会話ができなかったように思えて、普通に会話してみたかったなとか思ったのが正直なところです。

北海道で古い記憶がよみがえってきたという。

私がどうとかってそういう話はキモいからなしにして、でも書いたから一応残しとく。

 

過去を反復することと夢を反復することは似ていて、というより夢が過去の反復なのだから、夢の反復は過去の反復の反復である。

 

 

過去と夢の反復で食いつなぐ日々はもう終わっている。

ちがうんだ、そうではなくて、これは彼の話ではなくて私の話で、だから私の話をしているの。ちがって。そうじゃなくて。あの。そうじゃなくて。