☆2/1にかいたものの改変
ハザマくんは狭間くんであり、クレヨンしんちゃんの「かざまくん」と同じイントネーションです。イシバシハザマじゃないです。
◎なうぷれいんぐソング→Kyla La Grange 「Hummingbird」
最近は、必要に駆られて言葉を打つこと(レポート)が多くてヤになっちゃったので、自分の好きなことに言葉を使おうと思います。あと一本レポート残ってるんだけどな。
書きたいことがあるから書くのではなくて、文字を書かないと落ち着かないから書くときの気持ち。内容無しちゃん。
ちなみに、「Hummingbird」は私が夢を見ているときに聞く曲です。その話からしようか。
私が、落ちている時に聞くのは、ビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)の「xanny」(昔は、「bad guy」だった)
なんだかフワフワしているときに聞くのは「Hummingbird」
『THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY』という映画で、高橋一生と桜井ユキがダンシングしながらセックスする時に流れる曲。躁状態。そのあとに高橋一生が自殺する。そういう曲。最初がめっちゃ「おっぱい」に聞こえる。大好きソング。
どっちも、わたしにとっては夢の時の曲。
最近は、髪切りたいけど人に会わんよなと思っています。切りたいね。
現実感みたいなものがなくなってきたのがいつ頃だろうと探ると、もう高校生ごろにはそんなことを言っていてウケた。とはいえ、私は決して現実を手放さない。むしろ、かなりリアリティみたいなものに固執する。
具体的に。
私はずっとラーメンズが怖い。
小林賢太郎が辞めた時も、まず「こっわ」と思ったし「これだからラーメンズは軸にして追えないんだよ」と思った。
東京03を中心に、ラーメンズは周縁にある。なんだってこれだ。あんまり伝わりにくいかな。
ラーメンズってなんだか夢のような存在なんですよ。そもそも小林賢太郎が「自分はミッキーマウスでいたい」って言ってるから、そりゃあそうなんだけど。
私は、中の人が見えた方が安心する。むしろ、中の人が見えるあの瞬間に熱狂する。
サブカル的なものは、私にとっても「サブ」の位置にある。私は決してサブカルに身を浸せない。私はずっと俗的で、サブカル的な高尚さには近寄れない。
人間らしさとか親しみやすさとか汚さとかそういう現実的なものを軸に置いておきたい。綺麗だったり夢みたいだったりそういうのは外側だ。でも、外側にちゃんとある。
うんうん。
だから、夢と現実の狭間。というより、「足は現実に、目は夢に」という感じ。
現実を直視できるほど大人になれないからずっと夢を見ているし、でも夢にどっぷり浸れるほどの度胸もない。足を夢に置けたら、それはそれでおもしろいのにね。
リアリティというのは、別に現実を生きていれば生まれてくるものではなくて、なんだかもっと感覚的で、いやというよりそんなのは実際にはないんだけど、なんだかある気がするもの。私は、ずっと現実から足を離すのが怖い。
基盤となるような人間関係は、「現実」を感じる精神的な安定のために必要なのかもしれないとたまに思う。
10月ぐらいからやっとお勉強し始めて、今まで何してたんだろうと考えてしまう。本を読む習慣なんかほとんどなかったのに、なんだか本を何冊も借りている自分が怖くって。そんなこといってらんないのにね。
みんなえらいな。ずっと夢みたいなのが怖くて仕方がない。寂しい。夢の中ではずっと一人だ。冴えているのは私だけだ。
飽きちゃったな。ここまでにしましょう。言葉にすれば陳腐になるのはお互い様。
自分が苦しいときに苦しいのは自分だけだし、自分が素晴らしくあってほしいと願うのも自分だけだし、自分がどういう人間かを知りたいのも自分だけだ。
悲しいね。しょうがないんだけどね。
◎なうぷれいんぐソング→Billie Eilish「xanny」
英語わかんないから意味わかんなかったんだけど、みんな薬物やってるけど私はしないぜみたいな歌詞らしい。
英語分かる人は洋楽も意味が流れてきて大変だなって思ってます。わかる人にならないとなのかな。
ふふ。けっきょく。知らないうちに変わっているから心配しないで。とね。
夢が現実になっていく。知らないうちに。思っていた夢とは別の形で。