ずっと自分より賢い人に馬鹿にされるんじゃないかと怯えながら生きていて。
明らかに私はずっと、ダサい。
ありのままに出せば、明日の自分すら恥ずかしがるようなことばかりで、何かフィルターを通して外に出している。
ということでランダムに現時点の報告を。就活とかそういう話です。
大学3年生の夏。
周りは、こんな世の中でも、自己分析をしてESを書いてインターンに行っている。
私はと言えば、お察しの通り何もせずだらだらと過ごして秋を迎えた。
周りも自分も「増永は院に行くだろう」と思っていて、まぁそうするしかないんだろうと感じつつも、はっきりと選び取れずにいる。
「就活に向いてない」
私は、「就活に向いてない」
規則正しい生活もできないし、遅刻してばかりだし、授業にもちゃんと出てないし、そんな奴が社会に出ていいわけがなくて、私は当たり前に就活に向いてない。
就活のように、びちっとスーツを着て自分の長所を無理やり作って笑顔で嘘ついて会社に媚びていくみたいなこと、恥ずかしくってなんだってできやしない。
私は、大学を4年で出て就職して結婚して子供を産んで、みたいな「当たり前」のレールに乗っていられるような人間じゃないのだ。
本当に?
理想の自分
普通じゃなくてベタじゃない。変であって常識はずれな自由人。
私は、ずっとそんなのが憧れで、憧れってことは本来の私はそうじゃない。
私は、多分とても普通だしとても真面目だ。
真面目というのは、なんでもきっちりみたいな話より、おちゃらけてないという感じ。
私は、「正しさ」を語るのが得意なのに、私は、ずっとふざけていたい。
私は、決まった作業をコツコツとやっていくことが得意なのに、私は、発想力と創造力で何かを作り出したい。
「正しさ」の論者になりたくないし、自己啓発本は嫌い
何かを正しそうに語るのは、怖い。
「正しくない」と批判されることがあるから。
「正しい」ということはいつも共用スペースにおいてあり、「私にとって『正しい』と思います」と個人レベルに落とし込むことは許されない。
というか、そうであるならいちいち外に出さないでくれますか?という話になる。
だから、私は「正しいこと」を語る人にはなりたくない。嫌われたくないもん。
一方で、嘘を語ることは、気が楽だ。
私が指す嘘は、フィクション…小説だとか、自分に引き寄せれば漫才やコントだとか、そういうもの。
そういうのは、面白ければ楽しめればそれでいい節があって、個人の確固たるセンスを公に出して好きな人だけ取っていってよって雰囲気があって良い。
だから、私ももっと嘘を吐いたりふざけたことを言ったりそうやって生きて行きたい。
でも、私は嘘を吐けるセンスがなくて、どう考えても正しそうなことを語る方が得意だ。
私は自己啓発本の類が嫌いだ。オンラインサロンみたいなものも。
かなり偏見だけど、ああいうのはその人よりも視野が狭い人がその視野の狭さゆえに金を落としていく感じがあって、宗教みたいだなと思ってしまう。
本当に「正しい」かどうかを精査されないままに、「私にとってこれが『正しい』です」と語る人の元に、その堂々たる姿と正しそうな感じに惹かれ陶酔しきった人間が集まる。
そういう、偏見。
薄々気づいているだろうけれど、私は絶対自己啓発本を書くのに向いている。
だって私は、自分の考えていることをさも正しそうに語ることが得意だから。
そんな見掛け倒しな方法で20年間生きてきていて、ずっとその私が嫌いだ。
本当に「正しい」ことを語れればそれでよかったのに、私は何が「正しい」のかわからない。
だれもわかんないよと言われればそれまでだけど、私はずっとわからない。
わからないから、私はずっとダサかった。
「何かを作り出す職業に就きたいです」とか(笑)
ずっと自分にダサさがある。
「ダサい」というかなんか、「正しいこと」「面白いこと」「綺麗なこと」そういうことが全部わかっていないセンスのなさ。
その発言、行動は痛いなぁという発言と行動を平然とやってのける感じ。
私は、自分の中での判断基準みたいなのをあまり持っていなくて、目に見えないものは大概何もわからない。
「センス」なんてよく見えないものの話はしないでほしい。わかんないから。
そんな人間が、発想力と?想像力で?何かを作る?とか?言ってられないですよ。
私は、受験勉強みたいなのが一番得意だ。
どうすればいいかの道筋があって、どの問題集をやればいいかも決まっていて、その問題集をガリガリ解いて解き方を覚えて問題を解く。
一方で、やり方も道筋も決まってなくて0から1を生み出してくださいみたいなのはてんでダメ。
何から?どこから?取り掛かればいいかもわからないし、どこに向かえばいいかもわからない。
でも、そういう自由な感じすごくかっこいいじゃない。私は、そういう人になりたいのに、私はどう考えても向いてないなという実感がある。
就活に向いている私
「就活には向いてない」
院に誘うためか、私がそういわれると嬉しいだろうという気遣いか、お前なんかが社会には出れんだろという皮肉か。
とはいえ、私は就活に向いている。多分。
どの企業に入りたいかが決まれば、一生懸命業界研究(?)をしたり、企業について調べたりすることはできるだろうし、ESや面接のコツを掴もうと努力することも自分は楽しくできるだろう。
ESや面接で、自分のことをいいように言ったりまるで自分ができる人かのように堂々と話したり、そういうのも下手ではない気がする。
私は、今までそういう見掛け倒しで生きてきた。
そんなんが就活でどれだけ通じるかもわかんないし、「就活したことねぇのになめんなよ!クズが!」と思われるかもしれない。
ただ、相対的に、就活をせずに院に進むとか自分の好きなことをやるとかそういうことよりも、就活をする方が向いているんだろうなと思う。
就活に向いていたくない自分
私は、だからこそ就活をしようとしないで、院の方に足を向けている。
まぁ、こんなかっこつけなくても、「楽して生きていきたい」「もっとモラトリアムやってたい」ってのが99%ぐらいなんけれども。
「企業なんかに就職しないでさ、自分は夢を追うんだよ!」
みたいなそういうのやりたいじゃん。
ね、そういう方が普通じゃない感じするじゃん。
それだけのことで。それだけのことで、私は就活を避けてる。
夢も、やりたいことも、好きなこともないのに。ちょーウケる。
陳腐にならないように気をつかって
当たり前のことを、もしくは中身のないことを声高に叫んで、どや顔で去っていく。
そんな人にならないように、自分はさも新しいことを変なことを言っていますよという口ぶりで話して、普段通りを装って帰っていく。
誰もがそうであることを、自分だけのことのように。
賢い人には全部ばれちゃうから。
指摘されないように、ばれないように、生きていかなきゃいけない。
そういうところが全部ダサくて痛くて、すごく、「私」って感じ。
【おまけ(?)】勉強ができない私
勉強が苦手だ。
私はテストに出るギリギリだけを記憶してそれを出力するばかりで、自分が何かわかることもないし、何かを得ることもない。
勉強が好きでもない。全然。
褒めてもらうためにやってただけで、自分が「すごいね」と言われるためにやってただけで、純粋な学ぶ喜びなんてどこかにあったんだろうかという感じがする。
自分を取り囲む環境で一番できるべきだったのが「勉強」で、勉強ができるふりをしていればみんな褒めてくれたし、それだけのことだった。
いつのまにか、自分には「勉強」だけが武器として残っていて、その武器もまぁまぁの出来で、でも他にないからそれだけを振り回してきた。
その武器だって、ほとんど買い与えられたも同然で自分で作った部分なんてほとんどないんだけど。
そろそろ、その武器も壊れそうで、というか私はもうこの武器なんかで倒されていくものは見たくなくて、早く捨てないと早く捨てないとと思いながら、丸腰になるのに怯えている。