なんかの夢

隙あらば自分語り

能動的趣味と受動的趣味

ぽよぽよ~

最近、考えてることを書くnoteを作ろうかと思って新規登録画面まで行ったのですが、はてなブログでいいじゃん!(いいじゃん!)となったのでこっちに。

 

今あるnoteはなぜかフィクション縛りにしてしまったので、なんだか突然普通のことを書くのが恥ずかしくなってしまいました。(わたしのnote)

こうやって、私は自分ル―ルに縛られます。

まぁ、なんか一回まっさらにしたくて、前のノート使いきる前に新しいノート買っちゃうタイプってだけなんですが。

 

よし。「趣味」の話をしましょう。以下、常体でやんす。

趣味と一口に言っても二つに分けられると私は思っていて、その二つというのは「能動的趣味」と「受動的趣味」である。

「能動的趣味」というのは、その名の通り能動的にやる趣味のことで、例えばスポーツをしたり楽器を弾いたり等々。ゲームをするのはこっち。

反対に、「受動的趣味」というのは受動的にやる趣味のことで、映画・ドラマ・アニメ鑑賞やスポーツ観戦などである。ゲーム実況を見るのはこっち。(ちなみに、「オタク活動(=オタ活)」というのは基本こっちに入ると思う)

もちろんこういうのは明確に分けられるものではなく、映画等を見て感想を書いて発信していたらそれは「能動的」な要素があるといえるし、そこらへんはぼんやり受け取ってほしい。(例えば、XXCLUBの大島さんの”コンテンツ全部見”はすごく「能動的」だと思う)

 

そして、私はずっと「受動的趣味」ばかりを持っている。

今現在、「趣味は何ですか?」と聞かれたら、「んーお笑い見ること?ですかね?」みたいな答え方しかできない。

しかも、それは分野を網羅するようなものではなく、本当に好きなものを好きなように見ているというものである。(例えば、「お笑いを見る」のが趣味だと言っても、最近は主流のバラエティや人気のコンテンツを見ることなしに、某芸人のネットラジオをずっと聞いている)

今までも、「アニメを見ること」とか「マンガを読むこと」とか「読書」とかいろいろあげてきたけど、それらは全部「受動的」なものだった。

 

ずっと、それがコンプレックスで、「なんで私はこんなにも受動的趣味しか持てないのだろうか。能動的趣味をどうにかして持てないものか」と悩む日々だった。

 

ただ、今日(そうまさに今日!)結論が出た。

私は、能動的趣味を避けている。

なぜなら、趣味でやってることでも評価されることを過度に求めてしまうから。

だから、避けている。

 

趣味でやってるゲームでもスポーツでも何でも、私は「すごいね!」と言われたいし一番でありたい。

「負けず嫌い」と言えばなんだか聞こえはいいが、「負けないぞ!頑張るぞ!」みたいなプラスの方ではなくて「勝てないぞ!死にたいぞ!」というマイナスの方に力が働いてしまうタイプだから、たちが悪い。

極端に言うと、マリオカートやってて12位とかになると「あ~、マジで生きてる価値ね~」となる。

極端に言わなくても、ボードゲームをしている時に負けると「あぁ、私にはボドゲの才能もないのか…」と病んでしまったみたいな経験がある。

 

勝敗がつかなければいいかというとそうでもない。目に見えて勝ち負けがつかなくても、だいたい「上手い」「下手」が出てしまう。

私は、だいたい何事においても「下手」な方であり「負ける」方だったので、「能動的趣味」の類は、精神的にやるのがしんどくなってやめてきていた。というのを思い出した。

 

そいや、ゲームは一緒にやってた弟に負けちゃうからやらなくなったし、テニスも下手だったから高校では勝ち負けのつかない和太鼓部に入ったんだった。

 

多分、eスポーツは私と同じようなメンタリティで、ゲームが上手かった人たちが競技化したんだと思う。趣味として存在していたゲームを競技化して一番を決めたがる奴なんて、そういう評価されたがる奴に決まってる。はずだ。きっと。うん。

 

少し話がそれた。

あと、最近はインターネットがあるから見える範囲が広すぎるなぁと思う。

私の「1番になりたい!」の思いは、「見える範囲で1番(上位)になりたい!」なので、小さいときは「家族で1番」「友達同士で1番」「小学校で1番」だった。しかし、オンラインでつながると急に「日本で1番」「世界で1番」という規模の話になってしまう。

井の中でも一位になれない蛙が、早い段階で大海を知っちゃう感じだ。ちょっと、絶望しかない。「大海は無理ですわ」と言って井戸に戻れるタイプだったらいいのだけれど、「いや、私大海のこと知ってるので」みたいな変にプライドだけ高いタイプなので、へらへらして大海を見ながら泣いてる。

 

 

じゃあ、勝敗もつかない、「上手い」「下手」もない散歩やジョギングを趣味にしたら…?と思うかもしれない。

しかし、そもそも評価されたがる人間なので、多分どこかで誰かと競いだしてしまう。

例えば、私がジョギングを始めたとしても、いつかは「フルマラソンに挑戦してみたい!」と思い、結局タイムを競いだしてしまうだろう。そこで私は「全然タイムあがんねぇじゃん!」と言って病んでジョギングを辞めるだろう。

あぁ、想像だけで私はジョギングを始めてジョギングを辞めてしまった。しょんぼり。

 

 

こんな風に「評価されよう」と思って毎日を過ごしていると、本当に自分の行動一つ一つが評価されているような気がして、なんだかドキドキしちゃって辛くなってきてしまった。

Twitterも日常会話も全部全部、自分の価値を見定められているんじゃないかと思い始めて、ありもしないフィードバックを待ち望んでしまったり勝手に脳内でフィードバックして「うわーこれもダメなのか」と落ち込んだりしていた。

 

もっと、評価されるとか抜きに好きなことをするべきなのでは?と思った。

一方で、もっとみんな「すごいね!」って言ってくれればいいのでは?とも思った。

(でも、「すごいね!」って言われたら、私が「すごいね!」って言ってっていったから?ってなるから本当によくない)

あと、私が何もしてなくても、何もできなくても、愛してくれる人が一人や二人いてもよくな~い?とも思った。

 

そこで、自由に何か書いたらええやん!(ええやん!)と思って、「評価されよう」「勝とう」「すごいね!って言ってもらおう」という思いを抜きにして、つらつらと何か書こうと思いました。

 

文字を書くのもね、ずっと好きだったんだけど。

周りに文章を書くのが上手い人がいっぱいいて、私がぐちゃっとして油っこい文を書くのと対照的に、みんなは水のように澄んだ文を書いていて。

「私が文を書いたって何になるんだ」と思ったけれども、「うるせぇ!何にもならなくても、書きたいなら書けばいいだろ!」と思ったので書きました。

 

もっといろいろ書こうと思います。それを「能動的趣味」にできたらいいなと思います。

 

 

 

おわり。