なんかの夢

隙あらば自分語り

オタクをやめたい

オタクをやめたい。やめたい。

本当にやめたい。意味がわからん。虚無だ。本当に虚無だ。オタクは何になる?やめたら何も残らないことに、金と時間と労力をぶち込んで何が楽しい?

しかし、オタクは麻薬だ。やめたいやめたいとずっと思っているのに、一向にやめられない。

 

一回、オタクをやめようと思ったことがある。声優のオタクだ。

私は高校時代から、声優の沼にハマり声優を追いかけていた。遊佐浩二を中心にその年代の声優さんを追っていた。

しかし、大学1年生の冬に遊佐さんを追いかけるのを緩やかにやめてしまった。

大1の年は、遊佐さんが50歳になる記念すべき年だった。私は彼の50歳記念CDを買い、お渡し会に参加しイベントに参加した。(1ヶ月に1回のペースで東京に行った)お渡し会は、遊佐さんには珍しい接触イベントだった。(10年ぶりぐらい)

その一連のイベントが終わった時、私は「追うのをやめたい」と思った。幸せの絶頂だった。絶頂だったからこそ、もうここでやめたいと思った。

そして、幸せだったからこそ現実との乖離に苦しんだ。文字通り夢のような時間を過ごすことが現実とあまりにも遠すぎて怖かった。私は、イベント参戦と現実との両立ができなかった。

 

そこで、私はオタクを辞めることができると思った。それなのに、私はまたオタクになった。関西の芸人のオタクだ。

そもそも、芸人は好きだったのだが基本的に東京の芸人ばかりで年に一度の単独に行く程度だった。
それなのに、声優のオタクをやめようとしたところに現れた金属バット(芸人の方)。

話は少しずれるが、オタクの一番楽しい時期は、新しい推しを見つけ夢中で作品を漁り情報を見つけるあの瞬間だろう。というかあの瞬間が一番楽しいと思っているから、私の中で「推し」というものがどんどん増え続けるのだ。単推しできるオタクとは訳が違う。(私がオタクにそもそも向いてないという話も後述する)

話を戻そう。
当時、一部界隈で大流行だった金属バットから入って彷徨い歩いていたら関西の若手芸人にどっぷりハマりいつしか1ヶ月に17回もライブを見に行くオタクになってた。(今は、金属バットはあまり追っておらず別の若手芸人を追っている)

結局、重きを置く方が変わっただけで今でも芸人と声優のオタクを辞めることができていない。

 

 

私はこんなにもオタクを辞められないのに、オタクを辞めたいのだ。

そもそも私はオタクに向いていない。

先にどんな人が向いているのかを言おう。

推しに会うためなら色んなことが頑張れる。推しに貢ぐこと、推しを見ることこそが幸せ。推しの幸せが私の幸せ。

そんな人こそオタクに向いていると思う。

 

私はオタクにしては自我が強すぎるのだ。

自分でもびっくりしたことがある。それは私がある芸人の単独ライブを見に行った時のこと。なかなか大阪じゃ生で見ることができない芸人で、すごく楽しいライブだった。

しかし、そのライブが終わった後私は急激に病んだ。その芸人の才能が、生き方が、人生が、羨ましくて羨ましくてしょうがなかった。その人に比べて、あまりにも無能で矮小な自分に嫌気が差した。

「私は、推しを見たって幸せになれない。」そう気づいた瞬間だった。

自分が人に誇れる存在で、自分が一定量認められるようになってからではないとオタクとしての幸せが手にできない。

「推しの幸せが私の幸せ」とは全く思えなかった。

他者が何をなそうが何も思えなかった。自分が何かをなさないとずっとずっと私は不幸だった。そんな私は絶対にオタクに向いていない。

 

とは言え、私はオタクを辞められない。

私はずっと「何を好きか」でアイデンティティを保ち安心しているからだ。

「好きなもの」で周りを固め、「好きなもの」を大声で叫ぶ。自分で自分を作らなくても、自分で何かをなさなくても手っ取り早くできるアイデンティティ形成。それにすがって安心している。

 

早く早くオタクをやめたい。やめなければならない。

私は、情報を知りたがるタイプのオタクである。その人の情報をより多く知るためにDVDを買いイベントに参加する。特に声優のオタクをしていた時にそういう楽しみ方しかできなくなっていた自分がいた。(出演しているアニメとかもあんまり見ていない時期があった)

オタクが情報だけを追い始めたらもう終わりだ。不毛だ。誰かを完全に知ることなどできない。芸能人なら特に。その一生満たされることない欲に駆られ時に知り切れないことに絶望する。そして、その人を追わなくなったときには何も残らない。どう考えても最悪な追い方である。

その時に、「情報を追うだけのオタクはやめよう」と決心した。今でも心に刻んでいる。

 

興味がなくなることが怖い。今まで打ち込んで色々してきたことに一気に興味がなくなり、得たものがゴミと化し、費やした時間お金が全部無駄になる。

その状況に陥ることが本当に怖い。

その時の強い後悔を考えるだけで心がしんどくなる。この先に起こるはずの後悔を憂いて苦しんでいる。

だから、早くやめなければならない。今の浪費をいち早く食い止めなければならない。やめたい。本当にオタクをやめたい。

オタクをして幸せになるならまだいい。

でも、私は決まってオタクとして幸せな状況(推しを見た、イベントに参加した、握手会等に参加した)を体験した後に1、2週間病むのだ。もうだめだ。意味がわからん。特段幸せになるわけでもないオタクをのうのうと続けている意味がわからん。無理だやめたい。

 

 

まとめまーーーーす!!!!

・オタクをやめたい

・いつ今推してるものに冷めるかわからなくて怖い

・個人的に、オタ活を中心にした生活にあまり魅力を感じない(推しに貢ぐために働くなど)

・推しが何かを成し遂げるより自分が何か成し遂げたい

・ただ自分が何か成し遂げるのには労力が必要で、それを渋ってるゴミ人間なのでこうダラダラしている

・オタクをやめたい

・オタクしてて一番幸せなことが起きた時こそ反動で「やめたい」と思う派

・「好きなもの」を新たに見つけたときが一番楽しい

・「何かが好き」ということでアイデンティティを保とうとするのをやめたい

・オタクをやめたい

 

 

よし、しんどかったので文字にあげました。本当に好きなように書いたので、同じ表現が多用してあると思いますごめんね。

オタクオタクいいましたが、私は純正のオタクというより色んなものの「にわか」という感じです。無理すぎ。でも意味わからんからオタクやめたい。

自分がちゃんと一人で立てるようになってからオタクをしたい。

 

まぁ、とはいえ、人生なんてそれ自体が無駄で虚無なんだから、有意義さなんてオタクやってようがやってなかろうが存在していないし、「オタクをやめる」ことなんて何の救済でもないんですよね。

 

以上です。

推しのラジオ聞いて推しの配信見てこようと思います。