なんかの夢

隙あらば自分語り

『アンパンマンのマーチ』を聴きすぎた

アンパンマンのマーチを聴きすぎた。

最近しんどい時にエンドレスでアンパンマンのマーチを流していたせいで、この短期間でたくさんアンパンマンのマーチを聴くことになった。

ちなみに今も流している。

 

こう聞いていると、この曲は気力を失った「アンパンマン」を洗脳する曲にしか聞こえないのだ。

その "こじつけ" をここでは書いていこうと思う。

 

まず最初に、「アンパンマン」について と どのような洗脳なのか を少し説明しておく。

ここでの「アンパンマン」は、キャラクターとしてのアンパンマンだけでなく、彼のように正義感の強い、利他主義の権化のような人間全般を指す。

また、そのような「アンパンマン」が現在少し気力を失い鬱気味であるという状況を想定している。

しかし、生真面目で正義感の強い「アンパンマン」には頑張ってもらわないと周囲が困る。だから、一生懸命「頑張れよ」と洗脳しているのだ。

私には、そういう曲にしか聞こえない。この先では、その理由をつらつら書いていく。

あと面倒なので、「アンパンマン」の「」は以下の文章では外す。

 

では、歌詞に入ろう。

そうだ 嬉しいんだ  生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

 ここでは、まず「生きるよろこび」を見失ったアンパンマンに「生きることはうれしいんだ」ということを植えつけようとしている。多分、一行目は強制的に復唱させられているんだろうと思う。

 

なんのために生まれて  なにをして生きるのか
こたえられないなんて  そんなのはいやだ!

このように、到底答えられないような問題を出し「そんなのはいやだ!」ということで、アンパンマンのことを間接的に否定し「答えられない自分」を責めさせる形にしている。

これは、飴と鞭でいうところの鞭である。のちに出てくる飴の部分を際立たせるために、一度アンパンマンのことを否定しているのである。

 

今を生きることで 熱いこころもえる
だから 君はいくんだほほえんで 

 ここでは、何かしらで鬱になっているアンパンマンを「今」に集中させることで他のことを深く考えないように仕向けている。その後、洗脳する側が求めている「頑張ること」を「いくんだ」ということばで命令している。

 

そうだ 嬉しいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

 最初は、懐疑的にとりあえず復唱していたアンパンマンだったが、ここら辺になると割と本気で「うれしいんだ」と復唱し始める。洗脳の効果が出始めているところで、もう一度この教義を叩き込もうというわけである。

 

ああ アンパンマン やさしいきみは
いけ! みんなの夢 まもるため 

 ここでは、まず「アンパンマン」と呼びかけ、「やさしいきみ」という肯定的な言葉をかけている。これは、飴と鞭でいうところの飴だ。先ほどは否定したアンパンマンを、「やさしい」という言葉で肯定しているのだ。

そして、洗脳側が求める「頑張ること」を「いけ!」という言葉で命令し、だめ押しで「みんなの夢 まもるため」という言葉をかける。

利他主義の権化であるアンパンマンは、「みんなのために」という言葉に人一倍弱い。「人のためになるなら何でもしなければならない」という意識が根付いているからだ。それを洗脳する側はわかっていて、ダメ押しとしてこの言葉をかけるのだ。

 

このように1番の歌詞を見ただけでも、この曲がアンパンマンを洗脳するために存在している曲だとわかるだろう。

生きることに疲れ、頑張ることをやめようとする鬱気味のアンパンマンは、誰の助けを受けることもなく、周囲の大人たちによって洗脳されまた「いって」しまうのだ。

 

 

誰か、アンパンマンにも「休んでいいんだよ」って言ってあげればよかったのに。

そんなことを思いながら、ずっと流れ続けるアンパンマンのマーチを聴きながら眠ることにします。

 

「そうだ、恐れないで。みんなのために。」

優秀な「アンパンマン」たちは今日も「みんなの夢を守るため」に身を削っている。