なんかの夢

隙あらば自分語り

人生は1度きりじゃないので転がれない

こんばんは。おはようございますの人はおはようございます。朝日が昇り窓を開けると心地よい風が入ってきますが、私はこの朝の訪れを歓迎はしません。また1日が始まってしまった絶望が大きいので。

てなもんで、今回も自分語り自分語りに次ぐ自分語り。センスもなければ文才もない、とはいえ自意識だけ過剰な人間が自分の思想を書き綴る場です。

ブログなんてまともな神経してる時には書けないので、お笑いライブ二本はしごして現実感が薄れたまま、例のごとく昼夜逆転で寝れない頭で書きます。明日は3限からです。3限の予習もしてない。起きれる見込みもない。そんな状況。

 

一回、私は、下のようなツイートをしました。

 

 

 この話をします。

 

「一度きりの人生」というと「一度きりの人生転がるように、笑って泣いていきて行こうぜベイベー」って頭に流れてきたので、それにあやかってタイトルはつけました。本文にはあんま関係ないです。

 

(以下、突然の常体)

 

「人生は一度きりではない」というのは、別に輪廻転生を説きたいとか、前世や来世を信じてるとかそういうわけじゃない。

正直、「人生は一度きり」で確定だ。だって、1回しかねーもん。でも、だからって、1回しかないからマジでこの人生良いものにしような!みたいなのが理解できないのだ。

 

自分を偽ったり隠したりして生きるくらいなら、一回死んでやり直せばよくね?っていつも思う。私は、人よりも「死」を引き合いに出す沸点が低いのでこういう発想がすぐ生まれちゃう。みんなが「死んだら意味ないじゃん!」みたいな考えなのはよくわかってる。でも、私は「そうやって生きてるのって死んでるのと同じじゃん!」と思っちゃうのだ。

どこが、「死んでるのと同じ」なのかは続きを読むとなんとなくわかってもらえると思う。

 

最近気づいた私の考え方がある。それは、「自分は『自分』という存在としてこの世の中に認められ受け入れられないと価値がない」というもの。自己承認欲求と自己顕示欲の権化のような人間なので、本当にずっとこう思っている。

「一度きりの人生、自分のために生きなきゃね☆」みたいなのが本当にわからない。自分のために生きた人生は、何になるんだろう。自分が死ぬのと同時に、自分の生が消え去ると同時に、その自分が幸せだった思い出や自分が満足した思い出はすべて消え去ってしまうのに。「自分のために生きた」ところで、死後の世界に何が残るんだろう。死後の世界に何も残せないとき、誰が私が生きていたことを証明してくれるんだろう。誰からも証明されないのに、私はこうも生を続ける必要があるんだろう。とかそう思っちゃうのだ。

 

もう一つ、「私は『私』という存在として認められたい」について。私は「上手く」生きることの価値がいまいちよくわかっていない。私は全人類に「私」という人間を知ってほしいし、それがもし汚い部分だったとしても「私」を知ってほしくて、そしてそれを愛して欲しい。だから、「こういう一面がありますよ」みたいなのを、こうやってブログに書いたりツイッターで書いたりしないとやってらんないのだ。

わかってる、打っててマジできもいなこいつとは思ってるから。責めないで。

だって、こう「私」として生まれた以上、「私」の本質が愛され認められ受け入れられないと意味がなくないか。これは前段落の話ともつながるが、「私」を偽ったり隠したりして上手く生きることは、生きてる間は幸せかもしれないけれど、死んだら何でもないのだ。何でもない。私がいい人でも悪い人でもどういう人となりでも、周りが思った印象のままの私が残ってしまう。偽られた「私」がぽつんと残るだけ。本当の「私」がいきた証なんて残らない。結局こう、うまく生きることも「自分のために生きる」の仲間なのだ。

 

こう考えていると、この生を少しでも良いものに良いものにしようとするのは間違っていて、「私」として生まれたので「私」として生きて、もしそれがクソみたいな人生だったら、まぁ別の人生で割とよさげな「私」になっていい人生あゆんどきゃそれでいいんじゃない?って気分になる。で、その時に「人生1度きりじゃないのかもなぁ」って気がした。ので、あのツイートをするに至った。

 

ポップな例えでいうと、みんなはガチャの種類としては「人生」ガチャを引いてると思ってる。ある何かしらの私というものがあって、それが「人生」ガチャを引いて人生を決めている。

それなので、1回しかひけないとおもってるし、何度も引けることを「転生」と呼ぶ。

でも私は、「私」ガチャを引いてるという感覚。というか、ガチャをひく私なんて元々なくて、その「私」自体をガチャで出してるみたいな感じ。

だから人生は一度きりだけど、一度きりじゃない。

 

 

まとめると(?)、私はこの人生が楽しいかどうかは割とどうでもよくて、それ以上に他人から承認されることを求めているという話でした。

 

「自分の機嫌は自分でとる」もいまだによくわからないのも、きっとこれが理由で、自分の機嫌が悪いときのこと誰も知らないなんて困るんだよ。ずっと機嫌がいい人だなんて思われちゃった日には困っちゃう。違うんだから。機嫌が悪い日もあるよーって知ってもらわないと。困るじゃないの。

 

うーん…自己愛と自己承認欲求と顕示欲の大爆発みたいなすさまじい記事になってしまった。

ただ、ありのままの私が全人類に認められないと満足できないみたいな性格があるせいで、多分一生私は幸せにはならないし、ずっとずっと死にたいんだろうなぁと思います。自分が今死ぬのとあと40年生きて死ぬのとで、死後の世界における自分というものを変えれる人なんてほとんどいないので。「今死んでも一緒じゃん」と思ってしまうだろうし、長く生きる意味とかは理解できない。

 

以上、自己紹介文でした。これは、個人の見解であるのであんまり気にせず皆さんは生きてください。私もどうせ死ねずに生きますので。