なんかの夢

隙あらば自分語り

読書後の排泄あるいは嘔吐 『火花』をよんで。

今更、又吉直樹の「火花」を読んだ。

文庫本化してすぐに購入したので、購入からもう1年以上は経っていると思う。最近は、特に芸人(しかも若手)のネタを見ることが増えたし、なんとなく読書がしたいなと思っていたので、やっと読むに至った。

この記事は、前半は「火花」についての個人的な感想、後半は私の読書に関する感覚を書くつもりでいる。どうでもいいか、そんなこと。

ネタバレガンガンに含みますので、注意してください。あらすじとかは書きません。

 

「火花」を読むにあたって、スピードワゴンの小沢さんが、「金属バットは火花に出てくるコンビみたいだね」と言ってたのが印象に残っていて、何度も金属バットの顔が読みながらちらついた。

そのせいか最初の方は、神谷が友保に見えてしょうがなかったけど、あとの方では完全に「神谷」と「徳永」という存在が脳内に生まれていてどうしようもなかった。

それに、又吉さんが書いていることもあって、最初の方は文章からあのロン毛のクルクルの又吉さんがちらついてしょうがなかったが、いつのまにかそんなことはなくなっていた。

いまだに、純文学がどうとかはよくわからないが、人間が人間をしている姿が鮮やかに描かれていて、どうしても読みながらドキドキしてしまった。

神谷にあこがれる徳永の気持ちがなんだか痛いほどにわかってしまって、一つ一つの彼の感情がそのまま自分にも乗り移ったような感じがした。神谷がどんどんと落ちていって、なれの果てに絶望するところなど、もうなんだかこっちも強い絶望を感じて泣いてしまった。でも、やっぱり神谷への憧れはぬぐえなかった。徳永も私も。

神谷は、馬鹿真面目に阿呆をやっていて、決してうまく生きていないけどすごく純真に生きていた。本当に、誰がそんな人生に憧れずにいられるんだろうか。

また、徳永と神谷の会話も、ありふれた会話とは確実に違う雰囲気があって、すごくいいなと思った。すごくいいなと思ったとぐらいにしか形容できない自分が辛いところだけど。

 

あと、私は芸人というものがすごく恐ろしくてすごくかっこいいと思っているので、さらに感情移入して読むことができた。

人を笑わせることを大真面目に考えることができるって本当に一握りの人間にしか不可能なような気がする。何が面白いかなんてよくわからないし。

「お笑いを解剖したらお笑いが死ぬ」なんていう言葉をどこかで聞いたことがあるけど、彼らはいつも解剖して構成だとかを考えて、でも自分の奥底で面白いって感じる感性も信じてネタを作って披露してるんだと思うと、なんかもう本当に別次元の人たちみたいだ。

 

閑話休題

結論(?)として、ずっと寂寥感の漂う小説ではあったけど、どこか少年漫画並みの熱さと青春を感じた作品だった。そして、「神谷」と「徳永」、それを囲む人間たちはしっかりと脳内に住み着いてしまうほどにしっかり人間だった。

 

 

と、後半戦。

前半も大いに自分語りだったが、後半はさらに自分語りだ。

私は、この「火花」を読むのに4時間ぐらいかかった。171ページの「火花」を。途中で、4,5回嗚咽を挟んだ。私は、いつだってそうだ。

年を取って、涙腺が弱くなっているのは確かではあるし、今日は特に精神が崩れていてどうしようもなかったのもあるけど、フィクションに触れるといつも泣いてしまう。

 

自分が自分の人生を歩んでいることがどうしようもなく醜く感じられてしょうがないのだ。

フィクションに触れて、新しい世界に触れて、私はもう完全にそのフィクションの中に入り込んでいるのに。その世界は一つもここに存在してない。顔を上げると、自分が自分のセンスで選んだものが並んでいて、何も変わらない日常が変わらないで存在していて、結局自分は自分で変わらないことがもう気持ち悪くてしょうがない。

結局、フィクションの中に入れない自分が惨めでしょうがない。本を読むと、必ずと言っていいほど、今の自分を否定したくなるし、今まで生きてきた十数年間をぶち壊したくなる。

私が、もっと喜ばれるような素敵な人生を送っていたらこの惨めさは解消されていて、気持ちよく読書を楽しめていたかどうか、それはわからない。

 

高校に入ったぐらいから、どう考えても私は読書に向かない人間なのではないかと感じるようになった。

まず、単純に読むのが遅い。集中力が微塵もない上に、すぐに自分に繋げて別のことを考えてしまったり、そうやってフィクションにまで顔を出す自分が気持ち悪くてしょうがなかったりしているとページが全然前に進まない。

それに、本を読むことは、この世に存在し得ない素晴らしい世界を、美しい人間たちを知る行為だ。そんな世界を人間を、どんなに愛しても虚構でしかない。毎回、その現実に辛さを覚えてしまう。

ただ人が文字を綴っただけなのに。馬鹿みたいに現実だと錯覚してしまうのだ。

やっぱり、フィクションは現実より素敵で理想で鮮やかで、だから本当に現実にいる自分が汚くて惨めで何者でもないのがどうしても辛い。

本を読むたびに、自分という存在をグチャグチャにしてゴミ箱に捨ててまた新しく生み直したいと思って泣くのを続けていたらどうも身が持たない。

 

1年に何十、何百冊も読める人たちは、どうやってそんなに本を読めるんだろう。

たくさん本を読む人は、きっと食事みたいに、本を読んでしっかり消化して自分の栄養にして、次の食事に向かっている。

おそらく、私は、まだ消化器官が出来ていなくて、正しい本の読み方がイマイチよくわからないままで、毎回消化しきれずほとんどを嘔吐してしまっている。

いつの間に、こんなに読書が下手になってしまったんだろう。

 

終わりが見えなくなってきたのでここでおしまい。本を読んでいる途中は、何か色々と浮かんできていたけど、もう忘れてしまったし、深夜の死にかけの脳じゃ文字も綴れないらしい。

 

今日のカウンセリング(?)で、「なんで早く寝れないんですか?」と言われてしまった。

私は「意志の弱さですかね」と答えるしかなかった。

今日こそは早く寝るぞと思った。本を読んだ。この思いを文字に綴らないとと思った。いつのまにか5時だった。

 

文字に綴ると腐敗して吐きそうなほど気持ち悪い自分語りでしかなくて、なんなんだろうこれはと思って、まぁ排泄物とか吐瀉物ほどの汚さであるから、看板には偽りなしだなと感じつつ。

 

全削除したい衝動を、2500字書いたのにという勿体無さで拭って。

はー、本当に、いつになったら「私」をやめられるんだろうか。

もっと破天荒で純真な神谷みたいな人生を歩みたかったんだ、僕は。