ツイッターがあるこの時代、ブログに書くことなんて多分ないだろうと思います。
私は、元気です。嘘です。ブログ書くときは、だいたい元気じゃないです。
先日、「二重生活」という映画を見ました。
哲学科の女子大学院生が、論文のために適当な男性を目的なく尾行するという内容。
感想としては、その尾行される側の男性を演じた長谷川博己がめっちゃかっこいいとかそんなことしか考えてなかったんですが、そんな話はおいといて。
その「理由のない尾行」というのが、とても興味をひかれた。
正直、やってみたいと思った。何の理由もなく、ただよく知らない人をずっとストーキングして、その人の行動を逐一記録する。
めっちゃ楽しそう。究極の人間観察のようなわくわくがある。
映画内でも言ってたけど、この「尾行」という行為、自分は経験していないのに尾行した人間を”疑似”体験しているような気持ちになれる。
私は、18歳の冴えない女子大生でしかないし、年を経たって冴えないババアになる未来しかないけれど、
尾行をすれば、40代男性の人生を体験できるかもしれないし、キラキラ女子大生の人生も体験できるかもしれない。何だそれ、最高すぎる。
でも、ここで重要な問題が発生する。
私にとって「理由のない」尾行であろうとも、尾行された側はありもしない「理由」を受け取ってしまうのだ。
「私に興味があるんだろうか」とか「私を殺す気なの?私のことが好きなの?」とかいろいろ。
勘違いも大概にしてほしいね!とこちらが憤慨しようとも、「尾行」という行為は何かしらの「理由」に裏付けられないと成立しないと思われているし、
「何の理由もありません。何の危害も加えません。さあさあ、今まで通り、”自由に”お生きになって!!」なんて私が言っても、自分の全行動を知ってる他者なんて存在してほしくないから、一切、自由になんか生きていけない。
「理由のない尾行」において、「私」という存在はめちゃくちゃ邪魔なのだ。
だから、私は、題名にも書いたけど、透明人間になりたい。
これは、割とずっと思ってる。
透明人間になって、好きなように人間を追いたい。人間が他者に見せない部分を知りたい。
別に誰に言う訳でもないからさ、一切触れないからさ、誰にも対峙していない人間の姿を見てみたい。
私には一生体験できない人生を、疑似でいいから体験させてほしい。
だから、私は、透明人間になりたい。
ずっと、こんなことを考えてたら、変に脳が現実的になってくる。
透明人間って、生きにくくない?とか脳内の私が言ってきたのだ。
わかる。一番移動が大変だなと思う。
道を歩いていて、人にぶつかったり車にひかれたりなんて日常茶飯事だろうし、電車の席に座ってたら上に人が乗ってくるとかもよくある話。
自転車に乗ったらホラー映像を生み出しちゃうし困ったもんである。
空中に放ったと思ってたパンチが、私の頬にヒットとかもありそうだし、
透明になったって肉体が邪魔で邪魔でしょうがなさそうなのだ。
だから、透明人間って大変そうだな。と。
そう思って、透明人間になりたいという妄想は終えました。
肉体を手放して、意識だけを残したら、それは生きてるのか死んでるのか。
それって幽霊だから死んでるんじゃない?え?じゃあ、私って死にたかったの?
うっそー超ポップに死にたがってたわーとか脳内が話を進めたので、
「そうだね、ちょっともっと生きてみようね。」と謎に精神を鼓舞しながら。
はぁ、現実ってそう簡単に変わんないないけど、妄想の世界も楽じゃなさそうだ。